同性愛の目覚め<2>

 N君に対する『愛情』が決定的になったのは、2年生になり同じクラスになってからだった。しかも出席番号順に席に着いた時、隣の席にN君が座ることになったのだ。

「やった!憧れのN君が隣の席だ!!!」

 内心では喜びつつ、N君に悟れないように無表情を装っていた。休み時間になると、隣の席に座っているボクの背中にいきなり抱きつき肩の上に顎をのせて質問してきた。

「神原さん何してんの?」

 いきなり後ろから抱きつかれた狼狽えてしまったボクは返答に窮した。

「本読んでますけど・・・(ぼそっ)」

 本を読んでるのは見れば分かるだろ、それに何で同級生に丁寧語で応えてるんだと自分にツッコミを入れた。

「なんて本を読んでるの?」

「遠藤周作の『悲しみの歌』って本だけど・・・」

 自分のバカバカバカバカ!実際に中学生時代のボクは根暗だったんだけど、なんて暗いタイトルの本なんだ。もう少し気の利いた本読んで、気の利いた返答をしろよと悩んでいた。N君はボクに限らず誰にでもスキンシップも激しくフレンドリーに接しているのだけど、N君に憧れていたボクにとっては効果てきめんだった。学校にいても家にいても通学時間も一日中ずっとN君のことを考えることが多くなってきた。いつのタイミングで『憧れ』の対象から『同性愛』への線を超えてしまったのかわからないけど、「N君のことが好きだ」という感情に変わっていた。

 この頃のボクは、N君がボクのことを好きになってくれる可能性ががないことに関しては悩んでいたけど、好きになった人が偶然、同性だっただけで『同性愛』について深刻に悩んだこともなかった。N君以降、好きになる対象が全て『男性』になっているなんて考えもしなかった。N君を好きになってから、『同性愛』って何なんだろうと思い、国語辞典で『同性愛』という言葉を引いてみたことがある。

どうせいあい【同性愛】
同性を性愛の対象とすること。また、そのような関係。

う〜ん。特に目新しい情報がない。なんといったってボク自身のことだからそんなことはわかってる。同性愛者の人なら一度くらい、過去に「同性愛」という言葉を、国語辞典で調べた経験があると思う。辞書で言葉を調べるだけなのに、かなりハードルが高い。「同性愛」って言葉を調べる事自体が、自分がそうであることを認めることになりそうで、恐ろしい解説が書いてあったらどうしよう?など考えたことがあると思う。今でもインターネットで「同性愛」や「ゲイ」といった言葉で検索することにも高いハードルがある。

<つづく>