ゲイとして生きる君へ

中学時代に同性愛に目覚めカミングアウトしてました。現在は隠れゲイ@福岡。過去の思い出や現在のことを綴っていきます。

カミングアウトの代償<14>

 ボクは母親が何をしたかったのかよくわからなかった。

   ボクの家庭は仕事上の都合で、父親がほとんど家にいなくて、三歳年上の兄も東京の大学に行っていた。高校一年生から大半の日々を母親と二人きりで暮らして来た。父親は家庭生活に関与しておらず、家庭内で起こった問題は全て母親が対応していた。中途半端に父親に介入されるより、母親が一人で対応した方が、めんど臭くなくてよかったようだ。ボクが頻繁に学校を休んでいることも父親は知らなかった。母親と二人で家事を分担して効率よく片付けてゆっくり過ごしていた。ボクは母親と喧嘩したことがなかった(兄はしょっちゅう喧嘩をしていた)。友達感覚のような気持ちで二人で共同生活をしていたのだ。

「あなたと話していると、自分の子供と話しているというより、女友達と話しているような感じがする」

 ある日、母親にそう言われたことがある。

「ふ〜ん。どこが?」

「考え方とか何だか女性らしい感じがする」

 ボクは怪しまれないように「何言ってんの?」と笑いながら、適当に会話を切り上げた。

 ボクの中で両親の存在は一種の自制装置だった。

 もし両親と仲が悪かったら、ボクはもっと積極的に同性愛者として社会活動をしていたかもしれない。同性愛者として自由に生きていけたかもしれない。ただボクは両親のことが好きだった。もし同性愛者として、公に活動すれば、両親に迷惑をかけてしまうのではないかと心配をしていた。

 ふと思う時がある。もし両親が死んでしまったら、ボクはどうなるだろう?

 今のボクにはこのサイトで自分の体験や考えを書くくらいのことしかできないけど、もっと同性愛者として積極的にカミングアウトして行動できるようになるかもしれない。

 母親は散歩をしながら、父親や兄の話だったり、親戚の話だったり、特に変わったことがない日常会話を続けていた。

 そして家に帰ってからも、母親と二人でテレビを見たり、昼寝をしたりしてくつろいで一日を過ごした。

 ボクが学校を休んでいる理由を最後まで訊いてこなかった。

 このなんということもない母親との散歩がボクが学校に再び通い始めるきっかけの一つになる。そしてもう一つ同じ時期にきっかけとなる出来事があった。

<つづく>