カミングアウトの代償<15>

 ホモキャラを演じることに自己嫌悪を感じていて学校を休んでいた。そんなある日、ボクは本を読んでいて、ある文章に目が止まった。 

 少し恥ずかしい話だけど、ボクは同性愛に目覚める前、小学生の頃から中島みゆきの歌を聴いていた(その辺の経緯はいつか機会があれば書くことにする)。ボクは彼女のデビュー当時からのインタビュー記事をまとめた本を買って読んでいた。

 少し長いけどその記事を抜粋して紹介したい[*1]。
 
 彼女がデビューする前に、人前で初めて歌ったのが高校二年生の文化祭だったと答えたところから始まる。

インタビュアー:文化祭に出る時は、全然抵抗はなかった? 人前で歌うことにも。
中島:抵抗あるなしよりも、でることに、ひとつのカケみたいなところがあってね。その頃、なんて言ったらいいのかな。精神的にすごく煮詰まっていたわけ。そんでもって、すごい閉鎖的な気分に落ちいってたわけね。もう、へんに考え込みすぎちゃったのかもしれないんだけどね。自分がさ、必要のない人間なんじゃないだろうか、とふっと思い出したわけ。 ”いなくてもいいんじゃないだろうか? ”というのを通り越して、 ”いない方がいいんじゃないだろうか” とか、そっちの方へずっと行っちゃったわけ。で、そんなわけで試行錯誤がいくつもあって、どれもつまずいてしまってね。もうダメだ、ってところだったわけね。そんなわけで、ひとつのカケとして、人前で思いきってでちゃうみたいなね。もし、人前にでて、私がいない(存在しない)方がいいんだったら、石がとんでくるなり、みんな帰っちまうなりするはずだ、みたいな最後的なカケの気持ちだったの。

 ー間略ー

インタビュアー:それで、その時の文化祭のステージのウケはどうでした?
中島:みんな帰らなかったからね。もし、私がそこにいる価値のない人間だったら、そこに存在する価値のない人間だとしたら、みんな帰っちゃうはずだ、というくらいにこっちは思ってたから、ステージにあがって、人が帰りでしたらどうしよう、って気持ちはあったよね。でも一応、いてくれたし……

 この文章を読んだ時、なぜだかはっきりしないけど、ボクはホモキャラを演じるのを止めようと決意していた。

 すごく単純なことだけど、母親と一緒に散歩をして、たまたま同じ時期にこの文章を読んだことでボクは一気に立ち直っていく。

<つづく>

[*1]満月みゆき御殿―『GB』中島みゆきファイルfrom 1980 より引用 

出版社: ソニーマガジンズ