ゲイとして生きる君へ

中学時代に同性愛に目覚めカミングアウトしてました。現在は隠れゲイ@福岡。過去の思い出や現在のことを綴っていきます。

職場でゲイとして生きること<7>

  大学時代から有料ハッテン場に行きはじめたけど、その罪悪感は、自分の中で常に抱いているものだった。でも、なるべく見つめないようにしていた物だった。いや……見つめてはいけないものだった。

 自分のやってることへの罪悪感。同性愛という社会的に認められていないことをしていることへの罪悪感。親や友達に隠れて汚いことをしていることへの罪悪感。

 どんどんと自分の中で、罪悪感が沸き起こって来た。そしてその罪悪感が沸き起こると、別の感情も同時に沸き起こさせることになる。

 銭湯で出会った同性愛者たちに抱いた感情。野外ハッテン場の公園で出会った同性愛者たちに抱いた感情。

 それは嫌悪感に近いものだった。

 ボクと彼らのやっていることの違いといえば、公共の場かどうかという違いだった。そしてボクはその罪悪感をある言葉で見つめないようにごまかしていた。そうしないと自分に対して、嫌悪感を抱いてしまうからだ。

 だって仕方がないじゃないか……

 独りで性的な欲求を処理し続けるには、限界があるし仕方がないじゃないか? それに日本では社会的に同性愛者が認められていなくて、公にデートしたり、付き合ったりすることもできないから仕方がないじゃないか?

 でもどんなに正当化しようしても、ボクのやっていることは路地裏に立っていた彼女らと同じように、銭湯や野外の公園にいた同性愛者たちと同じように、肉体関係を持った相手への愛情は微塵もなかった。生きていくために仕事としてやっている彼女たちの方が、まだ正当性があるように思える。

 他の同性愛者の人たちも、ボクと同じような罪悪感に苛まれたりしないんだろうか? 彼らの外見だけ見ていると、全く迷いがないようにも見えてくる。誰かに相談してみたくて堪らないけど、誰にも相談できる同性愛者の仲間はいなかった。それに誰かに相談したところで解決するものでもなかった。

 仕方がない……仕方がない……仕方がない……仕方がない……

 ボクは電車の窓に頭をもたげて、次々と流れ去って行く外の風景を見ながら、頭の中で何度もこの言葉を呟いて、さっきの出来事を忘れようとしていた。過去に何度も罪悪感に苛まれる度に、この言葉で何度も自分の行いを納得させようとしていた。この日も同じことを繰り返して、自分の心の中の闇に蓋をして目をそらしていた。

<つづく>