映画『ムーンライト』の感想

ムーンライト(字幕版)

ムーンライト(字幕版)

 2016年の公開と比較的に新しい映画だ。字幕版の方が監督や脚本家の意図が正確に伝わるような気がして、なるべく洋画は字幕版で見ることにしているのに間違えて吹き替え版で見ることになってしまった。

 いつものようにネタバレのあらすじを紹介する。映画を見るつもりの人は飛ばしてほしい。

 主人公のシャロンはゲイで学校でいじめてを受けていた。学校では同級生のケヴィンだけが友達だった。父親はいなくて母親はいるが麻薬中毒になっていた。そこで偶然に出会った麻薬密売人ファンと愛人のテレサが親代わりになった。シャロンの母親が吸っていた麻薬は密売人のファンから買っていたものだったが、その事実を知ってもシャロンとファンの関係は揺るがなかった。そして少年期になったシャロンは相変わらず学校でいじめを受けていた。そんなある夜にケヴィンと同性同士の関係を交わす。ただ学校のいじめはエスカレートしていて、シャロンとケヴィンは殴り合いを強制されることになる。その後、シャロンはいじめの黒幕を殴ってアトランタの少年刑務所に入れられる。成長して青年期になったシャロンは麻薬密売人になっていた。そこに同級生のケヴィンから電話がかかって来て、二人は再会することになる。

 この映画だけど、個人的には主人公のシャロンにあまり共感ができなかった。それにはいくつか理由がある。主人公が初めて関係を交わした同級生(浜辺でキスしてヌいてあげた)のことを思い続けて、ずっと誰とも肉体関係を交わすことなく生きてきたという驚きがある。それを純愛と思って素直に感動できなかった。ボクは既に身も心も汚れてしまっている。

 主人公のシャロンは幼年期から学校でいじめられていた。映画の冒頭から同級生に追われて逃げているシーンから始まる。このサイトに書いてある通り、ボク自身もいじめに近いことは受けていたはずなんだけど、あまりボク自身はいじめを受けたという認識を持っていない。ゲイをテーマに扱った映画は、既に『ブロークバック・マウンテン』『ミルク』を見ているのだけれど、アメリカ社会は日本に比べてゲイに寛容だと決めつけるほど単純ではないと感じた。どちらの映画にもゲイであるというだけで殺された描写もあった。昔の話だからと決めつけて終わるわけにはいかない。この映画の中で、主人公は黒人+同性愛者という二重の意味で背負っている。ボクが主人公に共感できなかったのも、日本という島国で生きているためアメリカ社会での人種差別が実感できなかったからかもしれない。

 ボクはこの映画に出て来る周辺の登場人物が好きだった。成長した同級生のケヴィンもだが主人公の周りに素敵な人が多い。 

「おかま」って何?
ゲイのやつらに不快感を与える言葉だ。
僕は「おかま」?
もしゲイだとしても「おかま」なんて絶対に言わせるな。
どうやったら分かるの?
自分で分かるさ、そのうちな。

 幼少期のシャロンと、麻薬密売人で父親代わりのような存在であるファンとの会話のやり取りだ。この会話をしているファンの姿は緊張しつつも素敵だった。もしボクが同性愛者の子供から、「おかまって何?」と質問されたら、どう応えるだろう?と思った。きっとファンのようにまっすぐ応えることができないで、笑いながらその場を茶化するようなことしか言えないと思った。自分の情けなさに幻滅してしまった。

愛しているのよ!愛してもらおうとは思っていない。
一番必要な時に、あんたに愛情を注がなかったんだから。
愛してくれなくてもいい。でも覚えてて母さんは愛している。

 麻薬密売人に身を落としたシャロンを救うために母親が言った言葉だ。この映画の終盤で最も感動できる場面だった。映画の序盤から、シャロンの母親はどうしようもない人間で、どんどんヤク中が酷くなってしまい、最後のシーンでは更生施設に入っていた。母親は幼年期からシャロンがゲイなのも当然に知っていたが愛情を注ぐことはなかった。ボクが学校でいじめられていたはずなんだけど、きっとその認識が持てなかったのは、両親から愛情を注がれていることを感じていたからに違いない。そして数が少なくても大好きな友人がいたからだと思う。

 

 自分のことを愛さなくていいから愛していることを覚えて欲しい。

 

 青年になったシャロンに言っても遅いのかもしれないけど……きっとこの素敵な言葉はシャロンにも届いたはずだ。