仕事に生きる同性愛者<8>

 ボクは喫茶店で本を読みながら読書に疲れると、考え事をしながら窓から外を眺めていた。

 ハッテン場。出会い系の掲示板。チャット。MIXI。他にも色々試してみたけど、結局はどれもダメだったな……

 社会人になって東京に来てからは、ゲイ向けの出会い系の掲示板に投稿したこともなかった。有料ハッテン場にも行かなくなっていた(結局、東京にいる間に有料ハッテン場に行ったのは一度きりだった)。つまりゲイとしての活動は全くと言っていいほどしていなかった。もう大学時代にインターネットを通して、初めてゲイの世界に接した時のような高揚感や期待感も無くなっていた。ゲイとしてどう生きていけばいいのか先が見えなくなっていた。

 いっそ日本を出て海外にでも行ってみようかな……

 膨大に余った時間を語学勉強に当てて海外に行ってみたい。そんなことも考えてみたりもした。でも実行する勇気は持てなかった。

 こうやって本を読みながら生きていたら。いつか道が開けるのかな……

 ボクが住んでいたのは総武線沿いにある街だった。行きつけの喫茶店は駅が見下ろせるビルにあった。駅に電車が着くたびに改札口から出て駅前にいる沢山の人達を眺めながら考えていた。

 駅前の広場にたむろしている人達は、誰かと待ち合わせしているのを待っている人たちばかりだった。しばらくすると待っている人が現れて一緒になってどこかへ消えていった。

 

 いいなぁ……誰を待っているのか分かっている人は。待っている人に出会えた人はいいな……

 

 そんなことを考えながら窓の外から駅前の広場を見ていた。 

 

 誰かと付き合うことができたからといってゴールとは思っていない。誰かと結婚できたからといってゴールとは思っていない。誰かと家庭を築いたからといってゴールとは思っていない。映画や小説みたいに単純なものではないのは分かっていた。でもボクは誰かと付き合うという最初のスタートラインにすら立てないでいた。ずっと平日は仕事をしていて、休日になると喫茶店で本を読んで時間を潰していた。

  ボクはいつか何かが起こって自分の人生が変わるのをずっと待っていた。

 そういえば……高校時代に人を眺めながら何かを待っているって内容の小説を読んだっけ?

 子供の頃は、大して意味がわからず読み飛ばしていた。でもなんだか今のボクの心境はその小説に書かれた描写と同じような気持ちになっていた。ボクはその小説が急に読みたくなったので、本屋に行って記憶を辿りに探すことにした。小説コーナーに立ち「確か芥川龍之介か夏目漱石か太宰治のどれかだったかな」と、本を取ってはページをめくって探していた。1時間近くかけてお目当の本を見つけ喫茶店に移動した。

 ボクはすぐに読めてしまうような短い文章を繰り返し読んでいた。

家に黙って坐って居られない思いで、けれども、外に出てみたところで、私には行くところが、どこにもありません。買い物をして、その帰りには、駅に立ち寄って、ぼんやり駅の冷いベンチに腰かけているのです。どなたか、ひょいと現われたら! という期待と、ああ、現われたら困る、どうしようという恐怖と、でも現われた時には仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう、私の運がその時きまってしまうのだというような、あきらめに似た覚悟と、その他さまざまのけしからぬ空想などが、異様にからみ合って、胸が一ぱいになり窒息するほどくるしくなります。生きているのか、死んでいるのか、わからぬような、白昼の夢を見ているような、なんだか頼りない気持になって、駅前の、人の往来の有様も、望遠鏡を逆に覗いたみたいに、小さく遠く思われて、世界がシンとなってしまうのです。
いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。

 ボクは自分でも何を待っているのか分からなかったけど、でも何かを待っていた。

 <つづく>

■太宰治 『待つ』(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2317_13904.html