漫画『放浪息子』の感想

放浪息子 15 (BEAM COMIX)

放浪息子 15 (BEAM COMIX)

 

 志村貴子さんの『放浪息子』という漫画本を読んだ。既に完結している作品で全部で15巻になる。全く知らなかったんだけど有名な作品らしくアニメ化もされているようだ。読み始めた当初は「退屈だな……」と思ってたんだけど、2巻の終盤くらいからハマってしまって一気に最後まで読んでしまった。

 この作品だけど、主人公の二人は同性愛者ではない。主人公は「二鳥修一」と言う「男の子」で「女の子」になりたいという願望を持っているけど「女の子」が好きだ。もう一人の主人公「高槻よしの」は「女の子」で「男の子」になりたいという願望を持っているけど「男の子」が好きだ。むしろ主人公の周辺に同性愛者がいる。彼らが成長するにつれてどう考え方や身体が変わっていくのかが、この漫画本の見所になる。小学時代から話が始まって彼らが高校を卒業して大学に入るところで終わる。

 この漫画本だけど読んでしまって少し後悔している。漫画本を読みながら気が付いたことをメモしていたんだけど、気がつくとかなりの量のメモになってしまった。このレビュー記事だけではとても紹介しきれないので、いづれ本編の中にこっそり織り交ぜながら書いていくことにする。また本編が終わるのが先になってしまいそうだ……orz

 主人公の二鳥君は「女の子」になりたいという願望を持っている。見た目も可愛らしく女装しても「女の子」にしか見えない。本人も自分が可愛いということを自覚しているようで、自分の女装姿に自信がある。ただ年齢を重ねるごとに、声変わりもする。性の目覚めも始まる。毛も濃くなる。骨格も男らしくなる。どんどん自分の中で「女の子」らしさが消えていき「男の子」に近づいていく。いや「男の子」ではなく「大人の男性」に近づいていく。そのことに二鳥君は恐怖を抱いていく。

 ボク自身は「女性」になりたいと思ったことはない。「男性」のままで「男性」が好きだ。ただ二鳥くんの気持ちは非常に分かる。ボクも中学1年くらいまで女の子に間違われことが多々あった。周囲の大人達から可愛がられていた。ただ中学時代からどんどん可愛い要素は消えていった。

 ある日、学校の帰り道に近所のおばちゃんと久しぶりにすれ違って挨拶を交わしたら、「えっ!あの神原君なの?」と驚いた顔をしていた。

 あっ……ボクはもう可愛いって言われる姿じゃないんだな。

 そう思った。ボクは心の中で、おばさんの反応に非常に傷ついた。だから二鳥君が「女の子」らしさが消えていくことに恐怖心を抱く気持ちはわかる。ちなみにボクの親や祖父母は、二人目の子供として「女の子」が欲しかったようで、ボクは子供の頃から「女の子が欲しかった」としつこく言われてきた。まさかこれがボクがゲイに目覚めてしまった原因とは思えないけど、幼少期から女の子とばかり遊んでいた。ボクは野球やサッカーといった男の子らしい遊びをした記憶が全くない。実は……今だに野球やサッカーの細かいルールを知らない。学校の体育の授業で野球をする時に、バッドの持ち方が分からなくて同級生から笑われた。ハンドボール投げも10mも飛ばないくらいだ。でも運動神経は悪くなくて徒競走やマラソンや水泳は得意だった。ただ男の子らしい遊びをしたことがなくて興味も無くてやり方が分からなかった。ママゴトや砂遊びなどばかりしていた記憶がある。

 少し話が逸れてしまうけど、ボクの周辺にも可愛い系の男性はいる。ボクよりは4歳ほど年上の人だ。彼は20代の頃、かなりの頻度で女性に間違われることもあるような人だった。30代後半になってもまだ20代後半くらいに若く見える。見た目は女性ぽいけど中身はバリバリの男性で女性が大好きだ。子供時代から「可愛いね」と言われて育って来たようで、仕種が女性ぽくて自分でも意識してやっているようだ。ただ……流石に30代後半になって、ぶりっ子な仕草をしていると周囲もヒイてしまう。誰か指摘してあげればいいのに!と裏では言ってるけど、ボクも含めて彼に告げる勇気は持てない。ボクは20代の頃の彼をよく知ってるから指摘することが残酷な気がして引けてしまう。それにボクは彼の気持ちが何となく分からないでもない。

 この漫画本では中学時代や高校時代の学園祭で、男の子が女の子の格好をしたり、女の子が男の子の格好をしたりと性別を入れ変わる劇を何度もしている。ボクはこの漫画本を読んでいて「果たして今の時代に性別を入れ換えるといった内容の劇を学校の出し物ですることができるだろうか?」と思った。今の世の中は、こういったテーマに敏感になっている。少し前にフジテレビの番組に「保毛尾田保毛男」が出て来て問題になったけど、いつの日かこういった内容の劇すらできない時代が来るような予感がしてならない。ボクは中学時代に修学旅行の出し物で男同士でキスする羽目になった。確かに当時は嫌だったけど、今では苦笑しながら振り返る思い出になっている。「もう一回やってみたいか?」と問われれば、「やってもいいよ」と答えると思う。この辺は人によって許容範囲が異なるので、どこに落とし所をつけるか難しいけど、あまりLGBTに対して過敏になるのも問題だと思う。

 最期の15巻で、二鳥君は成長して大人の男性に近づいてしまう。声も完全に男性になって背も高くなり首も太くなって骨格も男性になってしまう。そのことに気が付いた彼は自分の人生を文章に綴り始める。

 彼が出逢ってきた人達のこと。

 彼が今だに女性になりたいと思っていること。

 同級生に男の子になりたいと思っていた女の子がいたこと。

 二鳥君はそれまでに学園祭で脚本を何度か書いていたりしているが、それら全てが物語の最後に彼が目指すものにつながっている。彼は自分の人生を小説にして書き始める。

書けそうだと思った ぼくにも書けるかもしれない 見てもらうのは少し恥ずかしい でもこれはぼくの記録なのだ

 ボクは最終巻を何回読み直したか忘れてしまった。彼が選んだ道が、このサイトに文章を書いている自分の姿と重なって見えたからだ。