あれから10年以上経ったけど、ボクは今だに彼とどこかで出くわさないかと不安になる時がある。京都から離れて福岡に来ているにも関わらずだ。あの日に彼と会ってからゲイ向けの出会いの掲示板にほとんど書き込みをしなくなった。恐らくあの日以降に掲示板に書き込んで実際に顔を合わせた人は5人にも満たないと思う。
もしかしたら今から入る有料ハッテン場の中に彼がいるかも……
そう思って店の前で立ち止まってしまうことがある。まさか10年前に出会った彼がボクのことを覚えているとは思えないけど、それくらい彼の存在は恐怖になっていた。
ゲイ同士ならきっと分かってくれるよね?
若い頃のボクにはそういった根拠のない信頼感があった。思えば、子供の頃から人の悪意とかに対して少し鈍感だった。中学時代にあっさりとゲイであることを認めてしまった時も、「そんなに世の中に悪い人はいないよね?」と思っていた。でも実際には違っていて、「気持ち悪い」や「死ねばいい」など傷つける言葉を沢山言われた。その反動からなのか、「そんなに世の中はいい人ばかりじゃない」ということが分かってきて、大人になってからはゲイであることを隠し続けた。そんな経験をしてきたら、きっと同じゲイ同士なら辛い状況は分かり合えるとどこかで思っていた。
ボクは今に至るまで掲示板上であれだけの沢山の人が一致団結して一人を攻撃しているのを見たことがなかった。それだけ彼は沢山の人に迷惑をかけたんだろう。ボクだって彼が掲示板上で叩かれているのを見て「ざまあみろ」と思っていた。でもその一方で、他の人たちと一緒になって彼を批判するコメントをできない自分がいることが気がついていた。
実を言うと……ボクは少しだけ彼に同情していた。
きっと彼は同情してもらったとしても全く嬉しくもないだろう。彼が知っても「同情するくらいならケツを掘らせろ!」と言ってくるだろう。
彼はなんて生きづらい人なんだろう……
彼に対してそう思っていた。ボクはゲイである自分のことをノンケに比べて生きづらいと思っている。彼はゲイである上にあの性格だった。きっとボクよりもっと生きづらいに違いないと思った。そう思うと最後まで彼を攻撃するような書き込みはできなかった。なんだか自分のことを生きにくいと思っているのに、さらに生きにくそうな彼を見ていると叩く気になれなかった。彼から次に会ったら殴るなど脅すようなメールを受け取って怯えていたのにも関わらず、心のどこかで彼に対して少しだけ同情していた。彼とはできれば出逢いたくなかった。でも根拠もなくゲイ同士なら分かり合えると思っていたボクに対する戒めになったと思う。
彼もゲイ仲間達とうまくやれているといいけどな……
そう願っている。ボクはテレビで二条城や堀川通が映る度に彼に出会った夜のことを思い出す。いきなり道路を横断したこと。ケツを掘らせろと言われたこと。断ったらキレられたこと。大量にメールを送りつけられたこと。嫌なことばかりだけど、でも彼とのことはボクの中で思い出になっている。
<終わり>