LGBTブームと気持ちの変化<12>

 例えば、フジテレビで『隣の家族は青く見える』というドラマが放送されている。ボクはtwitterのタイムラインを眺めながら、そのドラマに出てくるLGBTのカップルに対する反応に疑問を抱いていた。

朔×渉に癒される
朔ちゃん可愛い
2人を見ているとLGBTの理解がもっと進むといいのに思う。

 そんなtwitterに投稿された感想文を読みながら、「もしドラマに出てくるゲイのカップルがイケメンではなかったがどんな反応をするのだろう?」とか考えたりしていた。

 実際のゲイカップルなんて、そこら辺の街を歩いている「おっさん同士」だ。

 ボクは自分のイケてない顔を鏡で眺めながらつくづくと思う。

 そんな「おっさん同士」がテレビの画面に抱き合っている姿が流れたとして、「可愛い」とか「癒される」のは無理だとしても、「LGBTの理解を進めよう」といった感想抱いてくれるんだろうか?と思った。

 もちろんドラマや漫画本の登場人物(特に主演)となる人たちが、イケメンでないと成り立たないと言うのはわかっている。例えば『しまなみ誰そ彼』という漫画本では、ゲイの主人公が出てくるけど、主人公がかなりのイケメンだと思う。それなのになぜか作品の世界の中では、イケてないグループに属している(この辺は映画『君の名は』も同じだけど)。作品として主人公がイケメンでないと成り立たないというのも分かるので、別にその辺をどうこういうつもりはない。

 でも現実のゲイの世界を見ていると、そこら辺の街を歩いている「おっさん同士」が愛し合って抱きしめ合っているが現状だ。確かにインターネットでの反応は、「おっさん同士」が抱き合っている映像が流れれば、別の意味で盛り上がるのかもしれない。

 ボクはインターネット上の人たちの反応と現実との差が激しくて、いつかその差に気がついて拒絶されることが怖くて素直にLGBTの登場人物が出てくることを喜べないでいた。ずっとLGBTの登場人物がメインで出てくる作品を見ながら、同じような感想を抱いていた。

 でもこの展覧会に来てみて、そんな感想はどうでもいいものだと思えるようになった。インターネット上のタイムラインを眺めているだけでは分からなかった。一人でテレビを見ているだけでは分からなかった世間の人たちの反応を、この展覧会に見ることができた。

 LGBTをテーマに扱った展示物を「へぇー」という感じで見ている人たちがいた。「ふーん」という感じで見ている人たちがいた。どの人も2分か3分ぐらい見ていて立ち去っていった。

 あっ……そうか!これでいいのか!

 恐らく翌日になれば、そんな作品を見たことすら覚えていないだろうと思った。

 でも……それでいいと思った。

 ボクは今更になって深く考えすぎていたことに気がついた。自分がゲイだから、何か特別な意味を持たせないと全く意味がないように思えていた。

 展示物を見た人たちの深層心理の中に、0.1パーセントでも微かな記憶が残っているかもしれない。きっと意識して覚えていなくても全く残っていないはずはないと思う。もしかしたら別のLGBTを扱った作品を見て、その0.1パーセントが積み重なって、0.2,パーセントに増えていくかもしれない。「へぇー」とか「ふーん」という反応。きっとそれだけでも、この展示物やLGBTの登場人物が出てくる作品には意味があると思えた。

<つづく>