「それじゃあ……」
いつもの分かれ道にたどり着いた。ここから先は別々の道だった。
ボクは自転車にまたがって、じっと彼の目を見て、ずっと前から心の中で決めていた「ある言葉」を言った。
「ありがとう」
松田君の顔を見ると「えっ?なんでありがとうなの?」と不思議そうな顔していた。それからお互いに数秒ほど無言のまま目を合わせていた。ボクは恥ずかしかったけど目を逸らさないで、じっと彼の顔を見ていた。彼はなんとなくボクの言葉の意味を感じ取ってくれたのか照れるように笑った。
「うん。それじゃあまたね」
「うん。ありがとうね」
ボクは「またね」とは返さなかった。それを言うと嘘になると思っていたからだ。他の同級生には嘘をつけたけど、彼には嘘をつきたくはなかった。それからボクらは手を振っていつものように別れた。
帰り道の河川敷沿いまで来て、自転車から降りて手で押しながら歩いていた。河川敷には人がほとんどいなくて、それまでこらえていた涙が急に溢れて流れ出した。
ボクは生まれて初めて好きだと告白したのが彼だった。
ボクが彼に伝えたいと思った言葉は一つだけだった。
カミングアウトしても受け入れてくれてありがとう。
告白しても受け入れてくれてありがとう。
体操服が無くなって疑われた時もありがとう。
修学旅行の時もありがとう。
いつも一緒にいてくれてありがとう。
心の中で「ありがとう」という言葉が溢れていた。
ボクはあれから一度しか松田君と会っていない。
彼は大学を卒業してから、地元の企業に就職して働いている。たまたま街ですれ違った同級生達から、彼の情報を聞き出しているけど、相変わらずマイペースな性格で職場でも色々と失敗をしているようだ。ボクは高校時代を思い出しながら「とても彼らしいな」と思って、そんな彼のことが大好きだった高校時代のことを思い出す。彼とは一度会った時に、携帯番号やメールアドレスの交換をしていた。お互いにいつでも連絡を取ろうと思えば取れるけど、あえて連絡を取る必要はないと思っている。
ボクの中でも彼の存在は特別だったけど、彼の中でもボクの存在は特別だった確信がある。わざわざ連絡なんて取り合わなくても、ずっと彼とつながっていると確信がある。
きっとカミングアウトしていた中学時代や高校時代に親や多くの同級生からたくさんの愛をもらっていたんだと思う。体操服が無くなった時に疑ってかかった同級生達も、普段はとても気のいい優しい人たちだった。だから疑われても、どうしても彼らのことを憎むことができなかった。
ボクは今、実家から離れた場所で独りで生きている。
でもあまり孤独感を感じないで生きていけるのは、きっと自分のことを受け入れれくれたという経験をしたからだと思う。
「神原さんってホモなの?」
「うん。そうだよ」
ボクは今、20年近く前に高校卒業と一緒に捨て去った「その言葉」を取り戻したいと思っている。そう思えるようになったのも、過去にボクのことを受け入れてくれた人たちがいてくれたからだ。
いつか帰省して、彼と偶然に街中で再会することがあったら、
「神原さんってまだホモなの?」
「うん。まだホモだよ」
笑いながらそう答えたい。
<終わり>