LGBTの社会活動との関わり<5>

 彼はボクよりも二歳年上で他の大学の学生だった。ボクは課外活動を通して彼と出会った。

 ボクも彼もその課外活動の中で目立たない存在だった。本について話をしている時に、彼が「○○○って本が面白いよ」と話をしていた。他の学生は相手にしなかったけど、ボクはなんとなく本のタイトルを聴いて気になったので帰り道に本屋に行って少し立ち読みをした。そして続きを読みたいと思ったので、そのまま本を買って読んだ。数日後、彼と出会った時に「あの本を読みましたよ」と声をかけて感想を伝えた。その時に彼の顔は今だに忘れることができない。「今まで沢山の人に勧めて来たけど、実際に読んでくれたのは初めてだ!」と彼は嬉しそうに笑っていた。それから彼と友達になった。夜になったらメッセンジャーでチャットしていた。「神原くんはいつも距離を取って接してくれるから話していて楽なんだよね」と言っていた。彼の言動や行動から何か精神的に疲れているのは感じていた。睡眠薬を飲んでいることも知っていた。大学の授業も休みがちのようだった。

 大学を卒業して社会人になった彼とは、MIXI上でメッセージのやり取りをしていた。ある日、彼の精神的な悩みを打ち明けるメールが来た。何の前触れもなく突然に送られてきた。

 彼は同じ大学の仲のいい先輩の家に遊びに行った。

 そこでゲームをしながらお酒を勧められてかなり飲んでしまった。

 気がつくと身動きが取れない状況にされて、体格のいい先輩に抗えずにレイプされた。

 その後、ストーカーまがいなことをされた。

 人と接するのが怖くなって性欲も無くなった。

 そう綴られていた。

 ボクは「警察に相談しなかったんですか?」と質問したけど、「警察にレイプされたことを言えなかった。男にストーカーされていると訴えたけど相手にされなかった」と返信がきた。

 彼が精神的に抱えている悩みが、ゲイの人が関連しているなんて思ってもみなかった。

 君が今メールを送っている人は、君に酷いことをした人と同じゲイなんだよ。

 そんな返信ができるはずもなく、ボクは当たり障りのない文章を書いて終わらせた。その後もしばらくしてから睡眠薬を飲んで首を吊ろうとして失敗したとメッセージが来ていた。ボクは長々と文章を書いて返信したけど、何を書いたのか覚えていない。

 しばらくして彼は死んでしまった。彼が自殺を選んだ最終的な要因は知らない。社会人になって職場の人間関係がうまくいかなかったとも聞いた。でも一番最初の始まりは、同性によってレイプされたことが原因だったのではないだろうか。

 ボクは人から紹介された書籍や映画などで、少しでも気になるものがあれば、すぐに買うようにしている。ゲイブログ上でも、ゲイに関連した書籍や映画を紹介されているけど、少しでも気になったものがあったら買うようにしている。嬉しそうな彼の顔が忘れらなくて、もう一度見たいと思っているから。

 レイプされた彼以外にも、銭湯で似たような現場を目撃したこともある。


 そんなゲイの世界の負の側面に接してしまっているせいか、ボクには声高にLGBTの人権に関して謳うことができない。

 社会活動をしている人たちの全てが、過去にLGBT当事者であることを理由に、何かトラウマになるような災難にあって、原動力になって義憤にかられて活動を始めた訳ではないだろう。ボクが今の仕事を成り行きでしているように、きっと「いつの間にかこうなっていました」という状態なのではないだろうか。恐らく、ボクと彼らとの間には遠い距離はないように思った。

 それにボクは彼らの活動を尊敬している。ボクには到底できないことをやってくれている。やり方は主張は人それぞれだけど、意見がぶつかって揉まれていって落とし所を見つけていけばいいと思っている。

 ボクは福岡の田舎に住んでいるので、東京などの都会どのような状況なのか実感として分からない。LGBT専用のトイレが出来たりしているようだけど、twitter上で流れる情報をぼんやりと眺めているだけだ。そんな情報を眺めていて、何も思わないわけではないけど言葉に出して意見を言いたいほどのことではない。

 そもそもボクが住んでいる市内では、LGBTに関する社会活動は全く行われていない。恐らくボクが住んでいる街の市役所は、福岡市役所のようにLGBTのシンポジウムを開催しようなんて考えてもいないだろう。LGBT専用トイレに関しても、何だか別世界のように思えている。

 全く何も思わないことはないけど、意見を言うまでにならないのは今の状況に満足しているからだと思う。

 ボクは仕事が好きだ。職場で一緒に働いてる人も好きだ。自分のこなした仕事の分だけ評価してくれて、職場の仲間たちと一緒に働くことで、孤独感が紛らわせればいいと思っている。それ以上のことは職場に求めていない。そんな状況で「ボクはゲイです」とカミングアウトして、職場で「LGBTの配慮をしてください」とか啓発する必要なんてない。ゲイであることを隠して生きるのは、めんどくさいけどストレスに感じてもいない。

 それとボクはゲイで生まれたことに悲観ばっかりしていない。むしろゲイで生まれてよかったと感じることもある。このことについてはいつか詳しく書きたいと思う。

 明日はどうしようかな……

 電車から降りて家に向かって真っ暗な道を歩きながら、ずっと明日の予定が気になっていた。

 翌日の4月1日。ボクは熊本で開催されるLGBTのパレードに行く予定だった。

 今までパレードに行ったことはなかったので興味はあった。でも、今の精神状態で行くべきかどうか迷っていた。LGBTのパレードに参加することで、自分が望んでいない方向に足を踏み出してしまうのではないかという恐れがあった。

<つづく>