LGBTの社会活動との関わり<7>

 もう3歩前に歩けば、もっとパレードの参加者として溶け込むことができるんだろうな……

 そう思いながら参加者の輪の端の方で躊躇していた。さっき受け取った緑色の団扇をもらって眺めていると、「自分もパレードの参加者なんだ」と連帯感のようなものが生まれてきた。きっとボクだけでなくパレード参加者全員に連帯感のような不思議な高揚感が沸き起こっていた。「ここにいるレインボーカラーのアイテムを持っている人たちは仲間なんだ」というような感覚になっていた。まさか、たかがレインボーカラーのアイテムに、こんな連帯感を生むような効果があるなんて思いもしなかった。でもボクにとっては連帯感が沸き起こってくればくるほどに違和感が増してきた。

 さっきまでボクと同じように居場所がない感じで一人ぼっちで立っていた参加者もいたのに、今はすっかりパレードの参加者として溶け込んでいた。みんなパレードに参加するために集まっているのだから、当然と言われれば当然だった。ボクは完全に出遅れてしまっていた。

 あと数分以内には参加するのか参加しないのかを決断しないといけないだろうな。
 
 昨日見た映画『BPM』の中で、何度もパレードのシーンが登場した。ボクは映画のシーンに重ねて自分がパレードに参加している姿を想像してみた。パレードをしながら街中や商店街をみんなと一緒に歩いている姿を想像してみた。やっぱり想像すればするほどに違和感が増してきた。

「パレードの参加者は集まって下さい!」

 スタッフの呼びかけに応じて、中央の広場に参加者が集まっていった。でもボクは動けなかった。やっぱりボクの頭の中では、昨日行った「ある場所」に対して抱いた違和感のようなものが頭から離れなかった。そして目の前のパレードに対しても同じような違和感を抱いてしまった。

 やっぱりパレードに参加する気持ちにはなれない。
 
 ボクは受け取った緑の団扇をカバンの中に入れた。そして集まっていく他の人たちとは反対方向に歩いていった。

 自分が感じた違和感を大切にしようと思った。

 自分がやりたいとい思わないことに対して、正直に気持ちに従っていこうと思った。結局、わざわざ熊本まで来てパレードに参加しないことに決めてしまった。

 少し離れた場所からパレードの参加者を眺めていると、ようやく違和感の正体が見えてきた。

 ボクがやりたいことは、パレードに参加することで実現できるとは思えなかった。

 全ての参加者ではないにしろパレードに参加するということは現状を変えたいと思いがあるのだろう。でもボクは自分がゲイであることに不自由さを強く感じていない。「ノンケに比べて生きづらいだろうな」とは感じるけど差別されているとは感じたことはなかった。過去にカミングアウトしたことでイジメられたことはある。でもボクはイジメてきた人たちは嫌いになったり恨んだりすることはできなかった。イジメてきた人たちも、みんなどこかしら好きな箇所があった。

 ボクは「ゲイ」という存在を受け入れて欲しいとは思わない。

 もちろん好きになったノンケの人には受け入れて欲しいという願望はある。でもそれは強制できるものではない。それに差別的な発言をする人はいるけど、当人がどう思うと勝手だけど、できるなら口に出して欲しくはない。ただそれは「LGBT」に関してだけでなく、もっと広い範囲を含めてだ。

 ボクがやりたいことは、ただ「ゲイ」について興味を持った人に、「ゲイ」を知るための足がかりになるようなものを残していきたいと思った。それは「当事者」や「非当事者」のどちらに対してもだ。きっと「ゲイ」の当事者でも、過去のボクと同じように自分が「ゲイ」ということに目をそらして向き合いたくないと思っている人もいると思う。そんな人たちが、自分が「ゲイ」であることに向き合いたいと思った時に、「君と同じゲイの中に、こういった選択をして生きている人がいるよ」という記録を残していきたいと思った。そして「ゲイ」でない非当事者にも、「ゲイ」について知りたいと思っている人がいると思う。そんな人たちが知りたいと思った時のために記録を残していきたい。

……と、パレードに行く以前から、そこまで考えていたんだけど、そこからもう少し新しくやりたいことができた。

<つづく>