逃げきれないカミングアウトした過去

 みんながこの文章を読んでいる3時間前に母親と電話で話した。

 もともと母親からは、2週間に一度くらいのペースで電話がかかってくる。特に何か用事があって会話している訳でもなく、ただ何となく電話がかかってくる。数年前に兄貴は結婚してしまった。定年を迎えた夫は毎日一緒にいて話すこともない。だから独身でいるボクとは話し安いようで、ストレスの吐け口にしているみたいだ。

「ゴールデンウィーク何をやってたの?」
「いつも通り、金曜日と土曜日は仕事に出たよ」

 ボクは母親からの質問に、そう答えた。

 もちろん嘘だ。

 だって金曜日から日曜日まで東京にいたんだから。今回、東京に行ったことは母親には全く知らせていなかった。東京に行くのに「嘘の理由」を考えて言うのも嫌だったので、ただ福岡で仕事をしていたことにしていた。

 まさか……東京レインボープライドに行ってたなんて説明するわけにはいかなかった。

 余計なことは言わなかったので、いつもの通り、ボクと母親は会話を続けていた。

 そろそろ会話も終わるかなと思っていた時だった。

「そうそう。あなたの小学時代の同級生のK君って覚えてる?」
「うん。もちろん覚えてるよ」

 ボクはK君の名前を聞いて、少し動揺した。

「そのK君が、少し前にあった町内会の集まりにいたよ」
「へぇ〜なんでなの?」

 かなり嫌な予感がしつつも、ボクは何気ない感じを装って会話を続けた。

「K君。この町内に引っ越して来たらしいよ。●●さん家の隣に空き地があるの知ってる? あの空き地に家を建てたみたい。結婚して引っ越して来たみたいよ」
「へぇ〜そうなんだ。結婚したんだ〜」

 ボクはわざと驚いた感じの明るい口調で応えた。
 
「町内会の集まりで会って挨拶に来たわよ。あなたのことも『元気ですか?』って訊いてたよ」

 ボクはこの後、「ふ〜ん」とか「へぇ〜」とか適当に相槌を打ちながら会話を続けていた。そして母親の言葉に、何かもっと別の意図が含まれていないか詮索していた。

 このK君という小学生時代の同級生。

 実は、このサイトに何度か名前が出ている。

「ホモ! キモい!」
「死ね! こっち来るな!」 

 高校時代の下校中に偶然に出会って、そう言った一人がK君だった。ボクは大人になった今でも、彼らの嫌悪感で満ちた目を忘れない。

 母親に挨拶だけで終わったんだろうか?

 そう不安に思って、母親の言葉から感情の変化を読み取ろうとしたけど、いつもと同じように思えた。実家に帰ったら、彼が近くに住んでいるなんて考えるだけでも憂鬱になった。

 中学時代。不用意に同級生にカミングアウトしてしまった事実が、20年近く経ってもついてまわる。

「次はいつ帰れるの?」

 最後に、母親は訊いてきた。「お兄ちゃんも、あなたがいつ帰ってくるか知りたいみたいよ」と言葉を続けた。歳を取ってくるにつれて、「いつ帰れるの?」という質問の回数は増えてきたように思う。この頃は「職場にいい女性はいないの?」という質問もしてくるようになった。それまでは母親は「独身でいてもいい」と言っていた。歳を取るにつれて、独身のままの子供のことが心配になってきたらみたいだ。

 いっそ「ゲイだから結婚することはないよ」と言ってしまいたい衝動に駆られる。でも喉元まで出かかった言葉を飲む。正直に言えれば、ボクは楽になるのかもしれないと思ってしまう。ただ母親や父親を苦しめる訳にもいかないとも思う。

「そのうち帰るよ」

 ボクはそう応えながら、「恐らく年末まで帰ることはない」と思った。そして電話を切った後、「あと何回ほど、両親の顔を見ることができるだろうか?」と思った。