ゲイ集う成人映画館の手記<17>

 何度も書いてるけど、ボクだって「性欲」はある。

 野外のハッテン場に行った時も、成人映画館に行った時も、やっぱり何かが起こることを期待して行っている。

 ただ、心のどこかで「絶対に期待しているようなことは起きないだろう」という確信も同時に持っている。

 ボクは成人映画館に行っている人たちや、野外のハッテン場に行っている人たちを批判するつもりはない。ボクだって、あわよくば誰かと体を重ねたいという願望はあるから。

 結局、ボクが『シネ・フレンズ』に入るにあたって見つけた妥協点は、
 
「シネ・フレンズ には入ってみる。でも映画館の様子を見学するだけで、誰とも肉体関係を持たない。」

 というものだった。野外のハッテン場を巡り歩いていた時も、全く同じことを考えていた。

 でも、これだけ心の中に決めていても、シネ・フレンズ に入る前も、シネ・フレンズ から出てきた後も罪悪感ので一杯だった。野外のハッテン場に行く時も、帰る時も罪悪感で一杯だった。

 結局、ボクが一歩踏み出せない理由の「縛り付けるもの」とは、それまで築いてきた「人間関係」だった。

 他の文章でも書いたけど、ボクは両親が好きだ。大切に育ててくれたのも知っている。それに中学時代や高校時代に「ボクは男が好きだ」と打ち明けても、受け入れてくれた同級生たちも沢山いた。そして高校時代に、初めて同性に対して「好きだ」と告白をしたけど、告白前と告白後で全く変わらずに接してくれた人がいた。

 ボクが過激な性行為ができないのは、いつも彼らのことが頭の隅にあるから。

「異性とじゃなくて同性と肉体関係を持つことから感じる罪悪感かな?」と、ずっと思ってきたけど、最近になって違うと確信できるようになった。

 恐らく一番大きな理由は、「自分の性的な欲求だけで好きでもない人と肉体関係を持つこと」への罪悪感だ。

 きちんとお互いに向き合って持つ肉体関係であれば罪悪感は抱かないと思う。

 ゲイの人と出会って、好みのタイプあれば肉体関係を持ちたいという願望を抱いてしまう。

 その人と二人きりで部屋にいて、すぐ側にいるのならその人の手に触れてみたいという願望を抱いてしまう。

 ほんの少し手を伸ばせば触れる位置にいるのなら触れてみたい。その人の手を握ってみたい。

 でもボクができるのは、その人と話しながらドキドキするだけだ。

 自分の願望だけで、相手の気持ちを無視して肉体関係をもつようなことはしたくないと思っている。きちんと相手と向き合って、相手も自分のことを好きになって、自分も相手のことを好きになって……って自分でもバカみたいに真面目だなと思う。

 そういった訳で、ボクは有料ハッテン場に行っても、全くといっていいほど激しい肉体関係を持ったことがない。相手から「ノリが悪いな」と思われて途中で去っていっても、ボクの方も価値観が合わないと思って諦めている。最近は有料ハッテン場すら行かなくなったので、一人でゲイ動画を見ながら手淫するようになってしまった。

 こんなことを30代中盤を過ぎた、いい年齢の大人が考えてるなんて少し恥ずかしい。

 でも……ボクはこの気持ちを大切にしていこうと思っている。ボクの好きな人たちがくれた大切な気持ちだから。

「いつか両親や友人たちが死んでしまったら、この罪悪感を感じなくてすむのだろうか?」と思う時がある。

 でもきっとボクの心と体の中にこびりついた、この気持ちは消えて無くなることはないだろう。

<終わり>