一人のホモが悩む年齢という呪縛<転編>

 その『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマの中で以下のような会話がある。

 49歳の女性(土屋百合)と、まだ若く年齢は公開されていないが25歳くらいの女性(五十嵐杏奈)との会話。この会話で出て来る「若い男」とは、27歳(風見涼太)のことだ。この男性をめぐって二人の女性が喫茶店で会話をしている、ドラマの最終話の中盤シーン。

五十嵐:お姉さんと風見さんてどういう関係なんですか。17歳も違うのに恋愛対象ってことはないですよね。
土屋:年までよくご存じで。
五十嵐:50にもなって若い男に、色目使うなんて虚しくなりませんか?
土屋:訂正箇所が多すぎて、どこから赤をいれたらいいものか……
五十嵐:正確に言えば49歳。でもまわりから見れば同じです。アンチエイジングにお金を出す女はいるけど、老いにすすんで金を出す女はいない。
土屋:あなたはずいぶんと自分の若さに価値を見い出しているのね。
五十嵐:お姉さんの半分の年なので。
土屋:私が虚しさを感じることがあるとすれば、あなたと同じように感じている女性が、この国にはたくさんいるということ。
土屋:今あなたが価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。
土屋:自分がバカにしていたものに自分がなる。
土屋:それって、辛いんじゃないかな?
土屋:私たちの周りにはね、たくさんの「呪い」があるの。あなたが感じているのもそのひとつ。
土屋:自分に「呪い」をかけないで。
土屋:そんな恐ろしい「呪い」からはさっさと逃げてしまいなさい。

 このドラマの原作は未読だけど、この言葉を聞いた時に「このドラマの脚本をしている人は、年齢差を超えた恋愛についてのテーマを、このシーンに込めているな」と思った。

 ボクはこのシーンを見て、日本中のあらゆる場所で書き込まれている「ゲイ向けの出会い系掲示板」や「有料発展場の掲示板」、そして「ゲイアプリ」のことを思った。そこに毎日ように書き込まれる「呪いの言葉」を考えた。

五十代のおっさんの相手なんか誰もしないのにね。
さっき触って来たおっさんキモかった。
若い人だけで集まろうぜ。まじでおっさんは勘弁して欲しい
二十代から三十代までしか入れない日にして欲しい。店員さんお願いします。おっさんがニヤついて見てくるからキモくて帰った。

 どこを見ても「呪いの言葉」があった。

 別に若い人に、自分の好みや考えを曲げてまで、年上の人を受け入れろと言わない。どう思おうと自由だ。ただ、当人がどう思うと勝手だけど、できるなら口に出して欲しくはない。嫌だったり興味がなければ無視すればいいだけのことだ。これは『LGBTの社会活動の関わり』[*]でも似たようなことを書いている。

 ただ言葉にして発しないで欲しい。

 これはサイト上に文章を書いている自分への戒めも込めて書くけど、「思い」と「言葉にして発する」ことの間に距離を取って、もっと慎重になって欲しい。思いを口にすることで。思いを文章に書くことで。言葉として発することで、自分自身に呪いをかけるのは止めて欲しい。その「呪いの言葉」は、これから先、言葉を発した本人が向かっていく未来だから。

<つづく>