あるLGBT活動家を見て感じたこと

最近、ボクと同じゲイの方と福岡市内で会ったりはしているけれど、5月上旬に東京レインボープライドに行ってから、LGBT関連のイベントにも何も出ていない。

少なくともボクの周辺では何のイベントも行われていないように感じる。

春先には、かなりのイベント情報が飛び交っていたように思ったけど、最近は大人しくなったように感じる。福岡市の同性パートナーシップ制度の導入が終わって、ひと段落がついたのだろうか? それとも思ったよりも申請が少なくて盛り上がりに欠けてるんだろうか? 今まで密かにチェックしていた活動家の方々のアカウントを見ても、福岡市では何の動きもないように思う。

今のところ入っている予定は、11月上旬にある福岡の冷泉公園で開催されるパレードくらいだ。ただ、そうは言っても実際に行ってみるかどうかは分からない。もう大体のイベントに顔を出しているし、行ってみたところで、そんなに気持ちの変化はないように思う。

そういえば、熊本のパレード。博多どんたくのパレード。そして東京レインボープライド。そのどれものイベントに、LGBTの社会活動している人たちが顔を出していた。よくインターネットで見かける人たちだ。twitterのアイコン画像などで、頻繁に顔を見かけている人たちなので、すれ違っただけでも誰なのかすぐにわかった。

イベント名を書いてしまうと、誰のことか言っているのか、すぐに分かってしまうから、どのイベントなのか、はっきり書くことはできないんだけど、とあるイベントで見かけた活動家の方が印象的だった。

その活動家の方は集合時間に少し遅れてやってきた。

その方の顔見た途端、中学生や高校生と思われる若い男の子や女の子が取り囲んだ。

その活動家の方は、LGBT関連の活動に熱心に取り込んでいて、新聞でも見かけたし、本人自身が同性パートナーシップ制度を使ったりもしていた。

10人くらい若い子達が目をキラキラと輝かせながら挨拶をしていた。その活動家の方に注がれる。憧れの視線。視線。視線。視線。視線。視線。視線。視線。視線。視線。

ボクは少し離れたところから彼らの姿を見ていた。そして漠然とした不安を抱えていた。

若い中学生や高校生たちが、彼らに憧れを抱くのは仕方ないと思う。ただ、どうせしばらくしたら、他の世界の存在に気がついて、関心もなくなっていくんじゃないだろうか。

ボクが漠然とした不安を抱えていたのは、憧れの目を向ける若い子たちじゃなくて、むしろ憧れの目を向けられた活動家の方に対してだった。

憧れの視線を一身に浴びている活動家の方の表情を見ていた。

若いた子たちから囲まれて、憧れの視線をいっぱい浴びて、なんだか活動家の方が、困った方向に暴走しないかものすごく不安になってきた。

その活動家の方も、当初はLGBTの活動だけをしているのかと思ったら、なんだかマイノリティーとつくもの全てに関して、あれやこれやとネット上で意見をしている感じになってきた。なんだか、ボクにはあらゆることに意見や批判をしている姿が、某政党の某政治家の姿を想起させた。

意見や批判をするのはいいけれど、一方的に意見や批判するばかりしていても、何も良い方向にも変わらないんだけど……

現状ではLGBTといえば、マイノリティ扱いで、差別されている人たちという分類として扱われている。マイノリティという立場から意見や批判ということで、公権力側も配慮して協力的に対応しているようだけれど、それもいつまで続くか分からないと思う。

逆に意見や批判ばかりしていると、意見や批判をされている方は、うんざりして話を聞く気力が失せてくる。そうなると建設的な案にまとめることもできなくなってしまう。

いつかは、あーあ。あいつらまたグダグダ言ってるなーという感じで見られるようになってしまう。意見や批判をしていると、注目を浴びることはできるんだけどね。

イベントに顔を出して、若い子たちから憧れの視線を浴びれば浴びるほど「自分の意見が絶対なんだ」という勘違いの方向が、加速していきそうな気がした。

そんなことを思いながら、そのイベントで出会った活動家の方のtwitterのタイムラインを眺めては思う。もしくは他の活動家の人たちのtwitterを眺めては、同じようなことを感じてしまう。

このことは、あくまでボクが抱いた印象だけで、本当のところは分からない。

どのイベントで起こった出来事なのか、はっきりと書くことができないけれど、ボクはその光景を見て、いたたまれない気持ちになって、その場を後にしてしまったのは事実だ。