言葉のしっぽ<1>

ぼくは求めていますのは、自分とおなじような孤独な青年です。
心の底まで打ちとけて合って、励ましあったりして
すべての面で結びつきたいのです。
田舎のそれも農村に住むぼくには、これといった友人もありません
ぼくを愛してくれるのなら、どんなおとしよりの方でもいい
ぼくはその人に一生を捧げたいのです。
だれかのために生きたいのです。

テレビに映し出された文章をナレーターが読み上げる声が聞こえる。そのテレビの背景に映し出された、ゲイ雑誌『薔薇族』の「投書欄」を見た瞬間、ボクはリコモンを手に取って、画面のすぐ近くまで体を寄せた。そして画面上の『薔薇族』のページがめくられる度に、何度もリモコンの一時停止を押しながら、「投書欄」に書かれた内容を確認していた。

これは先日、放送されたNHKのEテレ『Love 1948-2018 ~多様な性をめぐる戦後史~』の一場面。戦後から現在までの性的マイノリティーの置かれた歴史を紹介したドキュメンタリー番組だ。

番組の序盤。雑誌『薔薇族』の紹介がされていた。その『薔薇族』の編集長だった、伊藤文學(ぶんがく)さんがインタビューに答えていた。

彼はゲイの人達から「出会いの機会が乏しい」との意見を聴いて、『薔薇族』の紙面に「文通欄」を作ること思いついた。

手紙のやりとりをするのに匿名性を確保するために、一旦手紙を編集部に送ってもらってから相手に転送したという。かなりの手間だったろう。その役割を伊藤文學さんの奥さんがやっていたという。毎日、1000通近くの手紙が届いたらしく大変だったようだ。手紙が多いため郵便屋は麻袋に入れて配達してきたという。

そういった経緯の紹介とともに、「文通欄」に掲載された手紙の一部が紹介されていた。

○○市・天然素材
私は172×85の36歳。多少中年太りに危険を感じている男です。シェイプアップは志しているが挫折ばかり。こんな男が友達を求めています。同年代で○○市から○○市在住の貴男から誘いを待っています。一緒に語り合い、飲みにゆきませんか。TelNo記入の手紙を待っています。
○○市・和寿
僕は165×53の18歳です。ルックスはいいほうだと思います。周りの人達からはかわいいとよくいわれる(自分ではそうは思ってませんが…)。18歳〜20代の、友達又は恋人になってくださる方、お手紙ください。返事は確実に出します。ヨロシク!
○○市・お城がきれい
初めまして僕は20歳の社会人です。20代前半〜20代後半の人で楽しく遊びにいったりできる人、手紙待っています。できれば明るい方。太めの方は×。写真同封で手紙下さい。僕は166×57の20歳です。返事確実。○○近辺の方から手紙待っています。

テレビに映し出されたのは、ありきたりの文章だった。

自分の身長、体重、年齢のプロフィール。自己紹介と相手の好みのタイプを伝える内容。時折、詩的な文章表現を見かけるくらいで、ゲイのボクにとっては、目新しい文面ではなかった。

ゲイ向けの出会い系掲示板、ゲイアプリのプロフィール欄と大して違いがない文面。インターネット上で、詩的な文章表現を使って書くと、むしろ変人扱いされるかもしれない。

そんなことを思いながらも、感動している自分に気がついた。気がつくとテレビの画面を見ながら泣いていた。

ボクはゲイ雑誌を買ったことがない。有料ハッテン場で、雑誌を見かけてパラパラとページをめくってみたことはあるけれど、興味がなくてそのまま棚に戻した。ボクは大学時代から「ゲイの世界」に足を踏み出したけど、その頃にはインターネットが普及していたから、ゲイ同士が文通する場所はネット上の「出会い系の掲示板」か「チャット」に移っていた。

一度、雑誌の「投書欄」にハガキを投函してしまえば、後戻りはできない。

決められ文字数の中で、きっと何度も何度も文章を作り変えただろう。そして高まる高揚を抑えて手紙に文章を書き綴っただろう。どんな願いを込めて手紙をポストに投函したんだろう。

雑誌に掲載されるのを、いつかいつかと待っただろう。恐らく掲載がボツになった手紙もあるのかもしれない。「いつ掲載されるんだろう」と待ち続けて、雑誌に載ることがなかった時の落胆は計り知れない。

雑誌に掲載された時は感動して、雑誌の文面を何度も何度も読み返しただろう。自分の文章を読み返してみたら「やっぱり、こう書けばよかった」とか後悔もしただろう。でも修正も削除できない。

ボクの書いた文章に誰かが返事をくれるかな?

そう思いながら、何度も雑誌の文面を読み返しただろう。

雑誌に掲載されてから、今か今かと誰からの手紙を待ち続けたろう。学校や職場から帰る度に、返事が来ていないかドキドキしながら、確認していたに違いない。全く返事が来ないことも多々あっただろう。そして返事が来た時は感激しただろう。相手からの返事を何度も繰り返し読んだだろう。

相手から返事が来てからも、嬉しさと苦しみは続いただろう。家族の目を盗みながら連絡したり、待ち合わせの場所を決めるのも苦労しただろう。そしてようやく会えた時、果たして相手は期待した通りの人だっただろうか。

インターネットの出会い系の掲示板、ゲイアプリのプロフィール欄と変わらない文面。ボクは別にスマホより手紙で書いた方がいいとか論じるつもるはない。便利と不便。それぞれいい面もあれば悪い面もある。

ただ、手紙に書かれた文章。限られた文字数の中で、一つ一つの「言葉」に込められた「思いの量」についてだけ違うと感じた。

いつも見かけるありきたりな文面。

でも「文通欄」に書かれた文章からは「言葉にならない思い」が、あふれるように感じられた。

<つづく>