僕が一番欲しかったもの<2>

その人からは「ウケ」だと聞かされていた。ボクも自分のことを「ウケ」だと思っていた(まだ自分が「リバ」だと気がついていなかった)。

「ウケ」同士で肉体関係を持ったことがある人なら分かると思うけど、全く盛り上がらない。

しかも、その人はボクよりも重症の「ウケ」でドMに近かった。

どちらか「タチ」の役をしなければいけないのだけれど、そうなると彼がドMだから、ボクの方が「タチ」の役をやっていた。ほとんど経験がない状態で、頭の中でゲイ動画を再生しながら「こんな風にしたら気持ちがいいのかな?」と考えながらやっていた。

でも、緊張している上に不慣れでうまくいかずにどう見ても下手だった。

相手の男性は慣れているのか、ボクに調子を合わせてくれていたけど、そのうちじれったくなったのか、起き上がって布団の側に置いているテッシュ箱に手を伸ばして引き寄せた。

どうしたんだろう?

彼の行動を見守っていると、テッシュ箱の中から「黄色い瓶」を取り出した。

ボクはその瓶に見覚えがあった。

これって「ラッシュ」だよね……

その黄色い瓶が、京都市内の有料ハッテン場のレジの横に並んでいるのを見たことがあった。最近は全く見かけなくなってしまったけど、ボクの大学時代の頃は、出会い系の掲示板などで「ラッシュ」と言う言葉をよく見かけた。

「君も吸ってみる?」

彼はそう言って瓶の蓋を開けて、ボクの鼻先に近づけて来た。

ボクは首を横に振りながら「いえ……止めておきます」と答えた。

「大丈夫だよ。気持ちいいから吸ってみなよ?」

ボクの鼻の前に瓶をさらに近づけてきた。なんだか接着剤のような化学薬品の匂いが布団の上を漂っていた。

「ラッシュ」

よく見かける言葉だったから、気になってネットで調べてみたことがある。

亜硝酸エステルを主成分とするドラック。そのドラックを鼻から吸い込むと、心臓がバクバクして体が熱くなって、性感が増す。そして体が柔なくなってアナルセックスをしやすくなると書かれていた。ただ、多用すると脳卒中や心臓発作で死ぬ可能性があると書かれていた。有料ハッテン場などで2000円以下で手軽な値段で売っていた。

出会い系の掲示板で

ラッシュをキメて気持ちよくヤりませんか?

そんな書き込みにすることをありきたりだった。

有料ハッテン場でもタオルやコンドームと一緒に「ラッシュ」を持って歩いている人が多くいた。

ボクは「ラッシュ」というものに興味がなかった。

だから、それを吸うとどんな気分になるのか知らない。そんな薬物を使うなんて育ててくれた親に申し訳ないと思っていた。自分が同性愛者で同性とセックスしていること自体申し訳ないと思っているのに。これ以上は罪悪感を背負いたいとは思わなかった。

2006年から2007年辺りで、「ラッシュ」は日本でも禁止になったらしい。禁止になった時期、ボクはゲイの世界から遠ざかっていて仕事ばかりしてから、禁止になったことさえ全く知らなかった。東京から福岡に引っ越して有料ハッテン場に行ってみて「そういえば瓶を持っている人を見かけなくなったな」と悠長に思っていた。そしてネットで調べてから禁止になったことを知ったくらいだった。

「いえ……本当に止めておきます」

ボクの答えて聞いて、心底つまらなさそうな顔をした。そして彼は瓶を自分の鼻に近づけて勢いよく息を吸い込んだ。

数秒後、彼の体がビクッっと跳ね上がった。

<つづく>