僕が一番欲しかったもの<11>

その後、出会い系の掲示板をよくよく観察していると、彼は毎日のように投稿を続け、誰かと会うことを繰り返していることに気がついた。そして京都市内では「要注意の人物」として扱われていることを知った。

こいつ毎日書いているよね。
この人仕事してるの?
○○兄さん。毎日お疲れ様です。

その投稿数の多さから、コメント欄で批判を浴びることも度々あった。でも彼は負けなかった。嫌なコメントがつけば、削除して、数時間後にプロフを少し変えて投稿を繰り返していた。

結局、彼の中で、ボクの存在は毎日のように肉体関係を持っている人たちの一人にすぎないことを知った。彼がボクのことを覚えていないという状況が、ようやく理解できた。

ただ、彼に対して不思議と腹は立たなかった。どちらかというと自分自身に対して腹が立っていた。

どんなにボクが注意して不特定多数の人と肉体関係を持たないようにしていても、たまたま関係を持った人が、不特定多数の人と関係を持っていれば、ボクの注意は何の意味もないものになることを知った。

全ては自分が招いた種だった。

それから一ヶ月ほど経った。

大学は春休みに入って、ボクは実家に帰省した。

まだHIV検査が可能になるまで一ヶ月近くあった。毎日のように体を観察していたけど何の症状も出ていなかった。あれから微熱も出ることがなかった。

やっぱりボクの勘違いだったのかな?

少しづつ前向きに考えれるようになっていた。

ただ、実家に戻って母親の顔を見ると、罪悪感が溢れてきた。せっかくここまで大切に育ててくれた母親に対して申し訳ない気持ちになった。

夜になってこそこそ隠れて誰かと会ってセックスして、いったいボクは何をやってるんだろう?

ボクは自分がゲイであることに対しては後悔していない。自分がゲイであることは後悔していないけど、今の自分は嫌いだった。

いつも通りに母親と雑談をしながら、「ボクがやっていることを知ったら幻滅するだろうな」と思った。それに中学時代や高校時代の同級生たちも同じように幻滅するだろうと、ずっと頭の中で考えていた。

ボクは自分の未来を自分から消してしまった。

帰省してしばらくの間、夕暮れになると近所を散歩した。ひと目につかない時間帯になるのを待って、思い出の場所を歩いていた。

同級生から「気持ち悪い」とか「ホモ」など言われた踏切に行ってみた。通学途中にあった河川敷にも行ってみた。高校時代に好きだった他校の先輩が通りかからないか、ドキドキしながら歩いてみて「そんなことあるわけないか」と恥ずかしく思ったりもした。そして音楽を聴きながら河川敷を歩いた。

気がつくと日は暮れていて、川から少し離れた住宅街には灯りがついていた。その灯りの中に先輩の家があった。

そして突然に、

自分が招いた始末は自分でつけよう。

そう心に決めた。すると今までにない別の感情が芽生えてきた。

今まで恐怖ばかり感じていたけど、ある所まで底に落ちていくと、今度は反発する感情が生まれてきた。

もうくよくよ悩むのは止めた。ボクは絶対に大丈夫!

これ以上、あれこれ悩んで人生を無駄にするのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。誰だか分からない書き込みの情報に怯えるのは、もうやめようと思った。

彼は不特定多数の人と関係を持っているけど、もし彼が病気を持っているのなら、今頃、京都市内は病気の巣窟になっているはずだ。だって彼は毎晩のように誰かと関係を持ってるんだ。でも、そうなっていないということは、彼は病気を持っていないということだった。それに普通の性病であれば、すぐに治療すれば治る。体の異変に気がついたら病院に行こうと決めた。

ボクも彼も少なくともコンドームをつけていた。

HIVの検査が可能な時期が来たら検査に行くことに決めた。

もしHIVだったら……

その時は誰にも言わないで死のうと決めた。

もしHIVじゃなかったら……

もう二度と、こんな思いはしないで済むように生きていこうと決めた。

<つづく>

今でもはっきりと覚えてるのですが、小学時代に見た番組の

この曲を聞いて夕方から夜の河川敷を歩いてました。恥ずかしい。

故郷へ- YouTube

明日へ - YouTube