絶対に会えてよかった<8>

部屋の隅には、体育座りしてうつむいている小柄な男性がいた。

腕を組んで顔は下を向いていたから彼の表情は分からなかった。ただ背格好からして20代前半くらいと予想された。部屋の隅に座って、他の人たちの乱交を観察しているのかと思いきや、ただ下を向いてうつむいているだけだった。

ボクは彼のことが気になって1メートルほど離れた場所に立って壁にもたれたまま観察を続けた。

この人……なんだか気になる。

まずいことに、ボクの悪い癖が出てきた。

ボクには彼のいる所だけ闇が深く見えた。

彼はまるでブラックホールのように、周囲の光を吸い込んでいた。彼の周囲だけ空気が淀んでいるような、とにかく体全体から負のオーラが発散されていた。

負のオーラという言葉だけでは、想像がしづらいかもしれない。例えば『ちびまる子ちゃん』で驚いたときやショックを受けた時に、顔に縦線が入る表現がある。その縦線が体全体に入っているような状態だった。

ボクの頭の中をドナドナ〜ドナ〜ドナ〜♪と歌が流れてきた。

ついでに中島みゆきの『うらみ・ます』が頭の中を流れてきた。超どうでもいい情報だけど、正式な曲名は『うらみます』ではない。『うらみ・ます』と『うらみ』と『ます』の間に『・』が入っているのだ。「中島みゆき=暗い」というイメージを決定づけた名盤『生きていてもいいですか?』に収録された曲が、頭の中で流れ始めた。

そんな感じで彼を観察している間にも、次から次へと新しい人が大部屋に入って来た。

そして部屋の隅で負のオーラを発散している彼の存在が気がつくと「何なのコイツ?」と首を傾げてから去っていった。

彼がどんな顔をしているのかも分からない。彼はただひたすらに下を向いて体育座りを続けているだけだった。

ボクは彼の存在に釘付けになってしまって、身動きが取れなくなってしまった。ボクの頭の中では、中島みゆきの『エレーン』が流れ始めていた。外国から来た娼婦をイメージした曲だ。

しばらく観察を続けてくると、ユウちゃんが大部屋に入ってきた。

ボクの存在に気がつくと近くに寄って来た。ついでに部屋の隅で、負のオーラを発散しながら座っている彼の存在に気がつくと、うんざりしたような顔をした。

「誰か狙っている人いるの?」
「うーん…」

狙っている相手はいた。

でも、それを口に出すと変人扱いされそうで言うのを止めた。

「そっちは狙っている人はいるんですか?」
「もちろん。あの背の高い人でしょ!」

ユウちゃんが口に出すのと同じタイミングで、大部屋に背の高い男性が入ってきた。その背の高い男性の後をつけて数人がゾロゾロと大部屋に入ってきた。

この時、店内ではすごく分かりやすい勢力図が出来上がっていた。

その背の高い男性を、店内にいるゲイのほぼ過半数が狙っている状態だった。

「あの人。向井理に似てて無茶苦茶イケメンだよね?」

ユウちゃんはボクの耳元で囁いた。

「向井理って誰ですか?」
「ええぇ。君。向井理を知らないの?」
「知りません」

ボクはほとんどテレビを見なかったから「向井理」という俳優の存在を知ったのは、ずっと後だった。

「あの向井理(似)いいな。誰を狙ってるんだろう?」

ユウちゃんは目を輝かせながら向井理(似)を観察していた。

「君もそう思うでしょう?」

と同意を求められた。

「うーん。ボクにはよく分かりません」

正直言って、ボクには向井理(似)よりもっと気になる人がいた。

「じゃあ君は誰がいいの?」

と、ユウちゃんは不服そうに尋ねてきた。

ボクは口に出す代わりに、部屋の隅に視線を移して彼の質問に答えた。

<つづく>