その時、廊下にはボクと妖怪くんと向井理(似)だけがいた。
向井理(似)は妖怪くんの側に立って、彼の顔を覗き込むように見ていた。
あぁ……向井理( 似)は妖怪君を狙ってたんだ。
あまりの意外な展開に呆然とした。
店内の支配階層は、
向井理(似)>>超えられない壁>>その他の客>>超えられない壁>>妖怪くん wirh 神原
となっていたけど、まさか最上位にいた向井理(似)が、最下位にいた妖怪君を狙っているなんて思いもしなかった。
向井理(似)は妖怪くんの腕を掴んだ。そして彼を立ち上がらせようとした。
その様子を見ながらボクは廊下を見渡した。さっきまで付き人のように後を追いかけていたメンバーの姿はなかった。妖怪くんを最下層扱いしていたメンバーが、この状況を見て、どんな顔をして焦るのか興味はあった。でもボクの心中も焦っていて、そんなことを考えている余裕はなかった。
腕を引かれて立ち上がった妖怪くんはチラリと向井理(似)を見た。そして空いている方の片手で顔を隠した。ボクにはどうして彼は不細工でもないのに顔を隠したりするのか不思議だった。
向井理(似)は妖怪くんの腕を引いて個室に案内しようとした。
あぁ……またこの展開かと思った。
もう何度も同じような苦い経験をした。
ボクは好みのタイプがいたとしても自分から声をかけることがない。好みのタイプがいたとしても、先に誰かが声をかけて、「個室」か「大部屋」のどちらかに連れ込まれるという経験を何度も味わった。
個室から漏れてくる声を廊下に立って聞かされたことも何度もあった。大部屋のカーテンの隙間から見える二人の関係も何度も見らされた。図々しい人だったら、横から無理やり割り込んで寝取っちゃうけど、ボクにはそんな度胸がなかった。
ボクは当然のように、妖怪くんが向井理(似)の誘いを受け入れると思っていた。
気になっている相手を堂々と誘える向井理(似)のことが「羨ましい」と思った。ボクだってもっと早く妖怪くんを口説いていれば可能性はあったはずだ。結局、度胸がないからいつも機会を逃してしまう。
すぐ近くの個室の入り口まで向井理(似)は妖怪くんの腕を引いて案内した。
ボクは妖怪くんが個室の闇の中に消えていくのをただ見ていた。そしてドアが閉まって「カチ」と鍵がしまる音が聞こえてくるんだろうと思った。
バシシッ!
突然、廊下に鳴り響く音。
ボクの目の前で信じられないような出来事が起こった。
意外な表情で妖怪くんを見る向井理(似)。
怒りの形相で向井理 (似)を睨む妖怪くん。
そのまま個室に消えていくと思われた妖怪くんは、顔を隠していた片手で向井理(似)の腕を叩いた。
通常、相手が好みのタイプじゃなければ腕を振って外すぐらいで済む。でも妖怪くんは違った。向井理(似)の腕を本気で叩いた。
憤然とする妖怪くん。呆然とする向井理(似)。
異様な音に驚いて廊下に向井理(似)の付き人たちが姿を現した。その付き人たちをかき分けるようにして、妖怪くんは両手で顔を隠しながら大部屋の方に逃げ込んでいった。
個室の前に残された向井理(似)は頭をかきながら廊下に戻ってきた。そしてボクに近寄ってきて廊下の壁に並んでもたれていた。彼の付き人たちは何が起こったのか気になっているようで、離れた場所に立ってボクらの様子を伺っていた。
ボクと向井理(似)の間に流れる数秒間の重たい沈黙。
「駄目でしたね……」
ボクは慰める言葉が見つからずにそれだけ声をかけた。
「そうだね……」
彼は恥ずかしい所を見られたという感じで、照れたように笑っていた。
<つづく>