絶対に会えてよかった<15>

前日の夜。ボクは教科書が一冊足りないことに気がついた。いつも宿題は忘れないように細心の注意を払っていて、絶対に机の中に忘れていないという確信もあって、本当に教科書を紛失したのかと思った。

このままだと宿題ができない。宿題ができないと殴られる。

と思って、次の日の朝「体調が悪い」と言って学校を休もうとした。母親は熱を測って問題がないことを確認すると、頑張って学校に行くように言った。

宿題を忘れたと言ったら殴られるだろうな。

と、予測して重い足取りで教室に入った。教科書を紛失したと言っても殴られそうだった。引き出しを開けて確認しても、やっぱり教科書はなかった。その後、教科書がなかった理由はすぐに判明して、隣の席のクラスメイトが間違ってボクの教科書を持って帰ってしまっていた。

でもどんなに正当な理由があろうと、その教師が聞く耳を持ってくれないのは、クラスメイトの全員が知っていた。1限目の授業には提出しなくてはならず、今更教科書を返してもらっても対応のしようもなかった。

教師に宿題を忘れたことを告げると、予測に反して軽く注意されただけで終わった。それで終わりだと思ってほっとしていた。

放課後に終礼が終わると「神原だけは残るように」と教師が告げた。

その時、さっきまでと表情が一変していた。

あぁ……ボクは殴られるんだ。

あぁ……神原は殴られるんだ。

と、全員が状況を察した。クラスメイトたちは足早に教室から出ていった。

ボクは席に座ることもできなくて、ただ呆然と自席に立っていた。教室の中に誰もいなくなってから、教師はボクの席にツカツカと歩み寄ってきた。

そして、いきなり腹をグーで殴った。これが本気で痛くて教室の床に膝をついて、息ができなくて「ぜぇぜぇ」と苦しんだ。教師は机の上に腰をかけて「早く立て」と絶叫していた。椅子や机を支えにして立ち上がると、今度は腹を蹴られて教室に壁に叩きつけられた。壁にかけてある体操服の袋がクッションになってくれて助かった。教師は相変わらず「早く立て」と絶叫していた。やっとのことで立ち上がって教師の下までフラフラと歩いていくと、ボクの顔を思いっきりビンタした。特に鼻を中心にビンタしたようで、叩かれてから耳がキーンと響いた。気がつくと鼻血がボタボタと服に流れ落ちていた。

鼻を殴られるのって腹を殴られるより痛くないもんなんだな……

と、冷静に考えていた。その後、数時間に渡って何度も腹を殴られたり、体ごと教室の壁に押し付けて怒号を浴びせられたりした。髪を掴んで強引に頭を振りまわされた。どこかの格闘技系の漫画の戦闘シーンのような文章を書いてるけど、これはあくまで普通の小学校の教室で起こった出来事だ。ボクは泣き叫んで許しを請いながら暴力が終わるのを、ただ待ち続けた。

彼らは……こんな痛みを毎日味わってたのか……

ボクが教師から殴られたのは、この一度きりだったけど他のクラスメイトが殴られる姿を毎日のように見ていた。クラスでは既に何人か登校拒否をしていて、親たちは不審に思いつつも、登校拒否している生徒側の方に何か問題があったんだろうと思っていた。

ランドセルが体に投げつけられて中身が飛び散った。

その後、鞭の代わりにランドセルを何度も体に叩きつけられた。金具の部分が体に当たるとめちゃくちゃ痛かった。ボクは泣きながら床に散らかったものを広い集めたけど、手に持った教科書やノートをひったくられて体に投げつけられた。国語の教科書についた自分の血は取れなくて、学年が上がって教科書を捨てるまで目についた。

教師に命じられて、廊下の手洗い場で顔や服についた血を洗い落としていた。

いつまで殴るのが続くんだろう……

その日、血を洗い流すのは三度目だった。教室の窓やドアは開け放たれたままで、教師は逃げないように、ボクのことを監視していた。鼻から流れた血が口の中に入ってサビ臭い味が口の中に広がっていた。

その時、階段を降りてくる足音が聞こえた。

「あれっ。神原くん。まだ残ってるの?」と声が聞こえたので振り返ると、近所に住む二歳年上の先輩が立っていた。

そして鼻からドボドボと血が流れている姿を見て「大丈夫なの?」と心配そうに声をかけてきた。ボクは「近寄らない方がいい」と喚起をする意味を込めて、視線を教室に移した。その先輩はボクの視線を辿っていき、机の上に腰掛けてボクらの姿を凝視している教師の存在に気がついた。その教師がヤバいのは生徒の間では、当然に広まっていたから、彼は一瞬で状況を把握した。

「誰にも言わないでください」

と、先輩に小声で言った。先輩は気まずそうに頷いて去っていった。後になって考えてみると「助けてください」とか、もっと別の言葉があったように思う。

血を洗い落として教室に戻ると、さっきまでと打って変わったように教師の機嫌が良くなっていた。今まで4時間近く殴り続けたことを全く忘れたかのように、笑いながら声をかけてきて冗談まで言い始めた。たまたま通りかかった先輩に目撃されてしまって「このままだとまずい」と判断したようだった。その優しさが逆に怖かった。

ボクは机や椅子や床に飛び散った自分の血を雑巾で拭いてようやく開放された。

靴を履いて学校から出ると夕暮れになっていた。

その日は土曜日だったので、本来であれば授業は昼で終わりだった。暴力は13時から始まって開放された時には17時を過ぎていた。

帰り道、公園で遊ぶ近所の子供たちが、ランドセルを背負って歩いているボクの姿を見かけては「まだ学校にいたの?」と不思議そうに質問してきた。ボクは適当な言いつくろって、服についた血を見れないように足早に離れた。殴られて体中がズキズキと痛かった。

さて……母親にはどうやって言い訳しよう?

昼ご飯も食べてないのに、どうしてこんなに帰るのが遅くなったのか?

微かに服についている血を、どう説明するのか?

本当のことを話せば母親は当然に味方になってくれるだろう。学校や教師の自宅に怒鳴り込んでいくかもしれない。でもボクは殴られたことを隠すことしか考えていなかった。この時、クラスメイトの全員が教師が暴力を振るっていることを親には話さなかった。中学生や高校生になって、同じクラスだった生徒と話していると「親に話したら教師から仕返しされると思って怖くて話せなかった」と言っていた。でもボクが親に打ち明けることができないのは、少し理由が違っていた。

家の前まで来て立ち止まって、頭の中で言い訳を整理してから玄関のドアを開けた。

<つづく>