ゲイとしての居場所作り2018年夏(結編)

ここ数ヶ月間でも、ゲイアプリについて言及している人がいて何個かの文章を読んだ。ゲイアプリの自己紹介欄について言及している人もいた。でもゲイアプリの自己紹介欄に書けることなんて字数制限もあって、たかが知れているだろう。

一人の人生について数百文字で収めるのは困難だ。そして相手のことを全く知らない状況からメッセージを一から始めて、どれだけゲイ以外の共通項を知ることができるだろうか。

ゲイアプリに関して補足しておくけど、ボクの住んでいる田舎の地方では数日もアプリを使えば、近くにいるゲイの全員の顔を覚えてしまう。街中ですれ違った時にアプリを使ってる人だと、すぐに気がついてしまう状況だ。それくらい人の流入が少ない。この辺、都市部と地方部では状況が全く違う。

ゲイということしか共通項がない関係で、ずっと「シアワセ」な関係を築くことができるだろうか。

この問題をどうやって解決していけばいいんだろう?と、頭を捻っていたけど、

ボクらにゲイという共通項しかなければ、他の共通項を見つけてもらえればいい。

と思った。

それには、どうしたらいいのか?

ボクという人間が「ここにいるよ」ということを文章を書き続けて発信し続けていくだけだ。

これは呆れるくらい単純な答えだった。「こんなのサイトに文章を書きを始めた時からやってるじゃないか」と気がついて笑ってしまった。結局、ボク自身の過去、現在。未来について書いて、「ボクという人間が福岡に住んでいる」という文章を書き続けて自己紹介していき、ゲイの側面。ゲイ以外の側面を知ってもらえばよかった。

ある時期から、サイト上もしくは非公開の場で「ボクにできることは文章を書いていくだけだ。」というような言葉を繰り返し使っていた。心の中で、「こうやって書き続けていって何か状況が変わるのかな?」という思いと、「いつか書き続けていけば状況が変わっていくさ」という迷いがあって、ほとんど自分に言い聞かせるために書いていた。

ゲイ以外の共通項を見つけてもらう。

その手段としては、twitterもあるしfacebookもあるしインスタもあるし、youtubeで動画や音声を上げるのもいいと思う。でもボクはもう少しまとまった文章を書き残していきたいと思っている。文章を書く&読むということの価値が下がったと言われることが多い世相だけど、ボクは文章というか「言葉」の価値は下がっていないどころか、機械化やシステム化が進む中で、むしろ価値が上がっているように感じている。

それにボクがどんな趣味を持っているとか、どんな食べ物が好きなのかとか、どんな所に遊びに行ったとか、そんな共通項を知って欲しいと思っていなかった。ボクがどんな考えを持っているとか、考え方をしているとか、もっと内面的な知って欲しいと思っていた。

それには長い文章を載せることができるブログが一番いいと思った。

でも、こうやって自分の過去を赤裸々に書いていると、二つだけ困ったことが起こった。

一つ目の困ったことは、誰かと実際に会うのが、異常に恥ずかしいということだ。

相手はボクのことを詳しく知っていて、それこそボクが中学時代にアニメ雑誌のVガンダムの主人公をおかずにしていたなんて、超絶に恥ずかしいことまで知っているのだ。待ち合わせ場所で相手を待ちながら、その事実に気がついた時、逃げたい気持ちになった。でも今更、逃げることもできずに、「なんでノリであんな恥ずかしいことを書いてしまったたんだろう」と頭を抱えてしまった。

二つ目の困ったことは、相手はボクの書いた文章を読んで、ボクのことを詳しく知っているけど、逆にボクは相手にことを全く知らない状態だということだ。

相手がSNSなどで情報を開示していてくれれば、事前情報を得ることができるけど、それをしていない人だと、待ち合わせを決めるメールのやり取りをした印象ぐらいしか相手のことを知ることができない。会った瞬間に「そこの公衆便所でヤろうなんて言い出すような人だったらどうしようと」と頭を抱えてしまった。

それら二つの問題を抱えていたけど、そこは開き直ることにした。

相手が情報を開示していよういまいが、それはどうでもいい。「いったいどんな人なんだろう?」と想像して楽しむことにした。相手はボクの恥ずかしい過去を知ってるけど、それもどうでもいい。「どうせ誰でも多かれ少なかれ恥ずかしい過去は抱えているだろう」と思うことにした。

少なくともボクに興味を持ってくれて会おうとまでしてくれたんだから、その気持ちを大切にしようと思った。そしてボクのサイトの文章を読んで興味を持ってくれた人は、どこかしたらゲイ以外の共通項に興味を持って連絡をくれる人ばかりだと分かった。

ゲイということしか共通項がない関係で、ずっと「シアワセ」な関係を築くことができるだろうか。

というテーマについて、まだ「シアワセ」な関係を築くことには至ってないけど、まずは「ゲイという共通項しかない関係」については自分の中で答えが見えてきたように思う。

ボクは自分の過去、現在、未来の詰め込んで、このサイトに長編小説一本くらいの文章量を載せている。

これからも「ボクという人間が福岡にいるんだ」ということ発信していく。有料ハッテン場や出会い系の掲示板やゲイアプリのような近場の人に向けてではなくて、もっと広い範囲に向けて発信を続ける。

最後にもう一度書く。

もう有料ハッテン場に行かない。もう出会い系の掲示板に書き込まない。もうゲイアプリも使わない。

そしてこのサイトを毎日更新し続けていく。

これらは自分の行動を縛り付ける言葉だけど曲げるつもりはない。

ボクは他のゲイの人達がしていないような別の生き方を模索してみる。

ボクに文章を書き続けていく力を与えてくれた、植物園に咲く「亜阿相界」に形にならぬ感謝を込めて。

<終わり>