幸せについて思うこと<4>

自分の人生を振り返る中で「幸せ」だと一番感じていた時期は、やっぱり幼少期だと思う。

夕方まで夢中になって遊んで家に帰ると母親が待ってくれている。

すぐに兄貴とお風呂に入っていると、野菜を切るトントンという音が聞こえる。何かを揚げる音が聞こえる。皿を並べる音が聞こえる。ご飯が炊ける音が聞こえる。晩御飯を作る匂いが風呂場まで漂ってくる。

そして風呂から上がると晩御飯ができていて家族一緒に食べる。テレビを見て少しだけ勉強してから歯磨きをして布団に入る。昼間に干してくれた布団はホカホカして暖かったりする。上のベッドでは兄貴が本を読んでいてページをめくる音が聞こえて、隣の部屋から父親や母親の話し声が聞こえて、子守唄代わりに聴きながら安心して寝る。

そんな日々の繰り返しだった。

いいな いいな にんげんって いいな
みんなでなかよく ポチャポチャおふろ
あったかい ふとんで ねむるんだろな
ぼくもかえろ おうちへかえろ
でんでん でんぐりかえって バイ バイ バイ

まさに『まんが日本昔話』のエンディングテーマの「にんげんっていいな」の世界だった。

そんな子供時代を毎日を過ごしながら、

いつか自分も同じような家庭を築くんだろうな。

と、なんの疑いもなく思っていた時期があった。

ただ……その思いはボク自身がゲイであることを気がついて、高校時代ぐらいから徐々に疑いが生まれて来て、今はすっかり諦めてしまった。

この文章の中に書こうかどうか恥ずかしくて迷っていたけど、やっぱり書くことにする。もはやサイトカテゴリーのゲイブログから逸れてしまっているけど、やっぱり書きたいので書くことにする。

ボクは子供の頃に一番好きだったアニメがある。

それは『クッキングパパ』だった。

先日も子供の頃に見たアニメの話を書いて続いて申し訳ないけれど少し書かせて欲しい。

そういえば東京から福岡に来て、地下鉄や喫茶店で若い女性が漫画本の『クッキングパパ』を読んでいる姿を何度も見かけて驚いた。散髪屋でも何故か漫画本が置かれていた。本屋でも目立つ場所に置いてあるので、

福岡では『クッキングパパ』がブームなのかな?

と、不思議に思っていた。子供の頃に『クッキングパパ』のアニメを見たことはあるけど、漫画本はほとんど読んだことがなかった。コンビニで雑誌の『モーニング』をパラパラとめくって時間つぶしていて、連載中の漫画を見かけることはあっても「子供の頃にアニメを見てたけど懐かしいな」と思うだけで真剣に読むことはなかった。

それから、あまりに『クッキングパパ』の漫画本を福岡で見かけるので、不思議に思ってネットで調べていると、作品の舞台が「博多」であることを始めて知った。作者も福岡の「香椎」に住んでいることを知った(作品では「花椎」と表記されている)。

なるほど。それで博多では漫画本を読んでる人をよく見かけるんだ。

と納得した。大人になって振り返ると登場人物が博多弁を話していたことを思い出した。アニメを見ていたのが子供の頃だったので、東京だろうが博多だろうが全く区別がなくて「都会」というカテゴリーで一括りにして見ていたようだ。

それでなんでまたアニメの『クッキングパパ』ついて書き出したのかというと、ボクの考え方の根幹が、このアニメにあるからだ。

<つづく>