幸せについて思うこと<5>

昨日、続きの文章を書くにあたって、職場の同年代の同僚相手に、試しにアニメ『クッキングパパ』を見ていたか質問してみた。

全員から「見ていない」と即答があって、

「見てないけど知ってる。異常に顎がデカい主人公でしょ?」

と言われたので笑ってしまった。

ここまで認知度が低いと、この続きを書くのも苦しくなるのだけれど、実を言いますと、『クッキングパパ』については、かれこれ半年以上も前から、このサイトでいつか書きたいと思っていたので、この機会に書くことにする。この件について書き始めたら絶対に4回で収まらないので、文章タイトルの項番も変更した。

このアニメ『クッキングパパ』だけど、はっきりいって平凡な話だ。

例えば、アパートの隣に住んでいる家族が遠くに引っ越していく話だったり。住んでいた家を引っ越しする話だったり。学校の友だちが母親と喧嘩して家出してくる話だったり。学校の友だちと喧嘩する話だったり。職場の同僚が付き合っていた女性にフラれた話だったり。職場に新入社員が入ってくる話だったり。

普通に考えて見れば、冒険談も何もない何気ない日常生活を描くだけで、よくも全151話も放送できたものだなと思う。

すぐにネタが尽きそうなものだけれど、でもこのアニメの魅了は全く別な所にあった。一番の魅力は、ありきたりの話の中に、家族や学校や職場などのありきたりの人間関係の中に盛り込まれた登場人物の細かな感情の動きだった。 

このことは初期オープニングの冒頭シーンに如実に出ている。

オープニングのドラムの開始と菜の花を舞う一羽の蝶々。

その蝶々を長男の『まこと』が捕まえようと手を伸ばす。

まことの手を逃れた蝶々の元に、もう一羽、蝶々が舞い降りてくる。

まことはつがいの蝶々を見て笑顔になる。

つがいの蝶々は菜の花畑に腰を下ろして耳かきをしている両親の元に飛んでいく。

その蝶々と両親の姿を見てまことは土手を走ってはしゃぎだす。

そして、まことは両親のもとに駆けていって父親に抱きつく。

この20秒にも満たなくて、会話もない短いオープニングシーンで、ボクの子供心は鷲掴みにされてしまった。

蝶々を捕まえようとした時の心。

蝶々を逃してしまった時の心。

逃した蝶々の元にもう一羽の蝶々が現れたのを見た時の心。

つがいの蝶々が飛んでいった先に両親を見た時の心。

つがいの蝶々と両親を合わせて見て土手をはしゃいで走った時の心。

両親の元に駆かけていって父親に抱きついて甘えた時の心。

たった20秒に満たない冒頭シーンに、まことの心情の変化が、丁寧に描かれている。

数年前。社会人になって実家に帰省した時、たまたまケーブルテレビで『クッキンパパ』の再放送を2話づつ流していた。大人になって見ると、さらに細かい登場人物の心情の動きが分かるようになっていて、子供の頃に見ていた時よりも、もっとこのアニメの凄さが分かってきた。

ありきたりな家族や職場や学校などの人間関係の中にある大人や子供の心情の変化。今になって見てみると、むしろ職場の人間関係がプライベートにも深く関わってきていて近すぎて、少し暑苦しさを感じるくらいだけど、それも面白かったりする。

子供の頃。もう20年以上前に見たのだけれど、一番印象に残っている回がある。

それは第29話『おじいちゃんからの贈り物』という回だった。

<つづく>