ゲイとして生きる君へ

中学時代に同性愛に目覚めカミングアウトしてました。過去や現在のことを綴っています@福岡

ゲイとしての居場所作り2018年秋<7>

過去に「マイペースな人が好き」と何度も書いてるけど、これは暗いとか内気な性格というのとは違う。

もっと正確に書くと、

「きちんと自分の世界を築いている人」

と言えるのかもしれない。

子供の頃から「なんでこんなにマイペースで似たような人ばかり好きになるんだろう?」と疑問に思ってきたけど、ある程度、大人になってから理由が分かったような気がする。それはボクが子供の頃に、カミングアウトしていたのとも関係があるのかもしれない。

きちんと自分の世界を確立している人は、自分のアイデンティティをちゃんと構築している。そういった人は他者に対して寛容なように感じている。

「自分」と「他者」の線をきっちりと引いていて、少なくとも自分というものを構築している分だけ土壌がしっかりとしていて、他人がどうであれ揺るがない自信を持っているように感じた。例えばボクがゲイであることを知っても、それはそれで受け入れてくれる人が多かったように思う。ボクはその揺るがない自分の世界を築いて、自信を持っている人に憧れていた。そしてそれを精神的な拠り所として生きてきた。

子供の頃にカミングアウトして、自分が傷つかないように無意識にうちに、そういった人を好きになってしまったのかもしれない。そして今はそれが長い年月が経って、ボクの恋愛対象の中で「地」の部分になってしまっているのかもしれない。

「この人なら自分の存在を受け入れてくれるかもしれない?」と思って無意識に選択していたのかもしれない。

ショウタさんと喫茶店で話していると、遠い目をして窓の外を見ている時がある。

ボクはその瞬間が堪らなく好きだ。他の人だったら話してるのを無視されてると怒るのかもしれないけど、少なくともボクは楽しそうに窓の外を眺めている横顔を眺めるのが好きだ。

そういった人と一緒にいると安心する。なんだか心がホカホカして暖かくなってくる。

そういった人ばかり好きになったり憧れてきたせいか、ボク自身もいつの間にかそういった人に似てしまって自分の世界を構築してしまっていた。

最近では自分の世界を確立し過ぎて、かなりこじらせてしまっていたように感じていた。

今年の3月に見たドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の中で『津崎平匡』という登場人物がいる。自分のことを「プロの独身」と言って、かなりマイペースでこじらせた性格の人物だった。

先日、ショウタさんから津崎平匡と似ていると言われてしまってショックを受けた。

「津崎平匡と『顔』と『ノンケかゲイ』くらいしか違いがない」

とまで言われてしまった。

普段から「なんとなく春風亭昇太に似ている」と言ってることの逆襲のような一言だった。ボクは「あそこまで拗れた性格はしていないと思う」と反論したけど、「本人だから自覚がないだけですよ」と言い返されてしまった。

そういえば彼が初めてボクの家に来たときに、なんとなく呆れた顔で部屋を眺めているから「ヒイてます?」と質問した所、「ヒイてます!」と即答されてしまったのを思い出した。

ついでにショウタさんから「津崎平匡と似てる」と言われて、過去にあるゲイの人から、全く同じ言葉を言われてしまったのを思い出した。

「実際に会ってない文章を読んでるだけの人」と「実際に会ってボクのことを深く知ってる人」の二人から揃って同じことを言われると、かなり複雑な気持ちになってくる。

確かにドラマの序盤で家事代行を頼むシーンがあって、ボクも自分が家事をやる費用対効果と、家事代行を頼む費用対効果を計算したことはあった。結局は田舎に住んでいるということもあって、代行業者の選択肢も少なくて断念した。でもボクの方は家事代行を頼むことできない代わりに掃除家電や調理家電を活用することで代替することにした。ついでに最近は、自分で食品や日常品の買い物に行く費用対効果と、ネットスパーを利用することの比較をしていたりする。

ドラマを見ながら、この辺りの合理的な考え方が、なんとなく似てるように思ったのだけれど「あそこまで性格を拗らせていない」と自分に言い聞かせていた。どちらせによ二人から似てると言われると、やっぱり拗らせた性格なんだろうなと思う。

せめて顔が似ていると言われれば嬉しかったのかもしれない。

<つづく>