ゲイとしての居場所作り2018年秋<12>

ボクはゲイだけど女性との結婚を選択をした人の気持ちがよく分かる。一歩違えば、きっとボクも結婚という選択をしたと思っているからだ。

ボク自身は中学から高校時代にカミングアウトして、地元にいられなくなってしまって意識的に実家から距離を取ってきた。もう実家に戻ることはできないから、独り立ちして生きていくために、とりあえず何でもいいから仕事を見つけて働いてきて今に至る。なんとか両親に頼らないで自立できたおかげで、両親からの期待とは無関係でいられる状況だ。もし子供の頃にカミングアウトしていなかったら、もともと両親との仲も悪くないし、きっと実家近くに住んで就職していたと思う。そうなると親の期待を受けて、ゲイであることを隠したまま女性と結婚という選択を取ったように思う。

過去に出会ったゲイから、既婚のゲイに対する批判的な言葉を聞いたことがあるけど、ボクとしては聞きながらも反応に困ってしまった。

ボクは「ゲイの世界」と「ノンケの世界」の狭間のような位置に立っているように感じている。

最近、ボクは自分の居場所というか、自分の立ち位置というものが分かってきた。いろいろなイベントに顔を出してみて、このサイトの感想メールを送ってくる人に、どうして既婚者が多いのか考えてみて、ようやく見えてきた。

前の会社の先輩に言われて、ずっと心に残っている言葉がある。

「神原って人の輪の中心になる訳でもないし、その輪に積極的に入る訳でもない。その「輪の端」か「輪の外」にいる。かといって輪の中に全く入っていないかと思えば、そういう訳でもなくて、それぞれの輪の人間関係がどうなってるとか、誰よりも興味を持ってじっと観察していて一番理解している」

そう先輩から言われたときに「確かにその通りだ」と実感した。

あるグループ内で喧嘩が起こった時に、いきなり親しくしていない人から悩みの相談されたりしてことが多々あった。グループの当事者でもないし、グループ内の状況を全く知らない訳でもないし、きっと相談しやすい立ち位置にいたからだと思うけど、しばらく相談に乗っていると、元のグループに戻った人もいるし、別のグループに移動した人もいた。そういった人たちを何人も見送ってきた。そして時々、単に相談に乗ってるだけなのに、勘違いされ恋愛関係を疑われて迷惑な思いもした。

ボクの居場所は、どこかのコミニティのような集団の端っこの位置にあるのかもしれない。

結局、ボクの立ち位置は中途半端というか、いつもどこかの端っこにぶら下がってるような状態なんだと思う。ボクはどこかのコミニティの中心に立ったり、積極的に関わっていくよりも、むしろコミニティの外や境界線の立ち位置に立っている方が向いていると思った。自分の性格にも合っているように思える。

今までいろいろなイベントに顔を出してきて考えてきたことと、先輩の言葉が最近になってようやく紐づけられてきた。

ボクは今まで深くゲイの世界に接してこなかった。きっとこれから先も深く接することはないと思う。それでいいと思う。

「ゲイの世界」から「ノンケの世界」に足を踏み出してみたいと思っている人は、かなり少ないかもしれないけど、「ノンケの世界」で生きてきた人が「ゲイの世界」に足を踏み出してみたいと思った時の橋渡しのような存在でありたい。

このサイトの読者から受け取ったメールを読んでいて、きっとこのサイト自体も、そんなボク自身の立ち位置を自然と反映してしまっていることに気が付いた。

<つづく>