ゲイとしての居場所作り2018年秋<14>

「九州レインボープライドに行って一番感じたことは、ショウタさんと会えてよかったことかなって思います」

百道浜に向かうバスのすぐ隣りに座っているショウタさんに言った。

それは冷泉公園で参加者を眺めながら、ずっと考えていたことだった。彼に言おうかどうか迷ってたけど、これが九州レインボープライドに参加してみて一番強く感じたことだった。ボクとしては無茶苦茶に恥ずかしい発言だった。

「ふーん。よかったですねー」

ボクの死ぬほど恥ずかしい発言を聞いて、彼は「おっ。珍しく素直じゃないか?」と意地悪そうな顔をして言った。普段から「AIぽい」とか「外ではすました顔をしてる」とか散々言うので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で珍しく本音を出したのに、わざとつれない返事で返してきた(ここに書くのも恥ずかしくて迷った)。「くそー勝ち誇りやがって」と悔しかったけど、恥ずかしかろうが何だろうが、ちゃんと言葉に出して言わないと伝わらないように思った。

彼と初めて会って話していると、全くと言っていいほどゲイの世界に足を踏み出していないことが分かった。そもそも彼から受け取ったメールを読んでいて、「ゲイの世界」どころか「インターネットの世界」にすら慣れていないような印象だった。

ただ何か悩みを抱えているのだけは文面を読んで分かった。

彼がどんな人か分からないけれど「この人は実際に会ってみて話さないとメールのやり取りだけでは分からなさそうだ」と思った。実際に彼と会ってみると。いろいろなことに迷っていた。そんな迷っている最中に、たまたまボクの書いた文章に出会ったらしい。

実をいうと、7月の上旬から中旬にかけて、ボクは精神的に凹んでいた。ちょうど「これから先どうしようかな?」と迷っている時だった。

お互いに迷っているもの同士が出会ったような形だった。

後になってお互いの状況を知って「ちょうどいいタイミングでよかったんだね」と喜び合った。

ボクと彼にはゲイ以外の共通項がある。

それは「真面目に生きていかないといけない」という点だと思っている。

以前も書いたけど、それはボクの中で自分がゲイであるということよりも重要な点だ。はっきり言ってボクも彼も人としては不器用な部類に入ると思う。それでも不器用なりに社会に適合して生きていかないと足掻いているように思う。これは恋人というよりも戦友の近い感覚なのかもしれないと、ボクの方は思っている。

ボクは両親や友人たちに支えられて生きてきたという実感がある。彼にもいろいろな過去があって、似たような思いを抱いていると思っている。彼と話していて育ってきた家庭環境や経済感覚などの価値観が似ているように思った。それに面白いと思う感覚も似ているように思う。そういった感覚や価値観が似ているからだと思うけど、一緒にいても全く疲れない。さらにボクは彼にどこに連れて行かれても、何を食べても、自分で面白い点を見つけて楽しむ性格をしている。プラス思考だからストレスに感じないどころか楽しい。

彼と寝るのもそれはそれで楽しい。

でも色々な所に行ったり、色々なことを話したりしてるだけでも楽しかったりする。

男同士で人目のつかない場所でイチャイチャしてたら、予想もしない道からいきなり人が現れて、見知らぬ人から思いっきりイチャイチャしてる現場を見られてしまって笑い合ったとか、そんなおバカな思い出がボクにとって重要だったする。

<つづく>