ゲイとして生きる君へ

中学時代に同性愛に目覚めカミングアウトしてました。過去や現在のことを綴っています@福岡

ゲイとしての居場所作り2018年秋<15>

最近の自分の状況について書くつもりはなかったんだけど、このサイトの読者も最近のことを知りたいと思っているだろし、そして何よりも彼に読んでほしいと思ったから書くことにした。

彼はさっきみたいに意地悪そうな顔をしてる時もあるけど、本当に時々だけど、とても不安そうな顔をしてボクをじっと見る時がある。それで「大丈夫だよ」と伝えたかった。口に出して何度も伝えてるけど、ちゃんと文字にして形にして伝えたいと思ったから、ここにも書くことにした。

ショウタさんに出会ってから「この人はいったい何をいろいろと迷っているんだろう?」と思っていた。

ぽつぽつと彼から聞いた話の断片をつなぎ合わせて迷っているものを知ろうとしてたんだけど、最近になって、彼が抱えているものの全貌が見えてきたように思う。

それで全貌のようなものが見えた瞬間に「もつれ過ぎですよ」と思わず言ってしまった。思わずそう言ってしまうくらいに、彼の人生の糸がもつれてしまっているように感じた。

でも「もつれ過ぎですよ」と言いつつも、果たして「もつれていない人生」と「もつれている人生」の「どっちがいんだろうか?」と考えていた。「迷ったり間違ったりすることもない人生と比べてどっちがいいんだろう?」と思った。彼と比較するとボクは「何も抱えてないんじゃないか?」と思った。

ボクは社会人になって、めんどくさいことを事前に対応して避けて処理して生きてきた。なるべく身軽なまま問題を抱えないように生きてきたけど「本当にちゃんと生きてきたのか?」と疑問に思っていた。ボク自身がこのサイトに文章を書き始めて、ようやく自分自身で何かを選択するようになったと思う。

ボクと直接会っている彼はよく知ってるけど、ボクは仕事がある平日だけでなく休日も家にいない。どんなに天気が悪かろうが体調は悪かろうが、朝早くから出かけている。それには理由があって、一日中家にいても何も起こらないからだ。少なくとも出かければ何か起こったり、誰かと出会って、人生が変わる何かが起こるんじゃないかと期待していた。

ひたすら何かが起こることを待ってきた。でも何も起こらなかった。

結局は自分自身で何も選択をしてこなかったように思う。いつも何かが起こるのを、ただ待っていただけだった。自分自身で何かを選ぶこともなくて何も間違わなかった。でも間違ってもいいから、自分で何かを選択するべきだったように今となっては思っている。

恐らく、じっくりと深く考えて問題を解くのは彼の方が向いているように思う。逆に、目の前に発生した問題を瞬間的に考えて実行して解く方はボクの方が向いているように思う。お互いに向き不向きがはっきりしている。

たまたま今のボクは、人生の糸が酷くもつれていないタイミングだ。

だから彼が抱えている、もつれてしまった糸の端っこに座って一緒にほどいてあげたい。ボクと会うことで彼のゲイであることの悩みの糸のもつれは緩るんだみたいだけど、ボクのできる範囲で他の糸のもつれも緩めてあげたい。

このサイトの文章を書く時間が、1日1時間として、もう少しで2年間が経つから、ざっと見積もっても730時間ほど時間を使っている。実際は、書く時間だけでなく考える時間もあったりと倍以上の時間を使ってると思う。

もし文章を書いていなかったら、この時間を何に使ってたんだろう?

「もし書くという選択をしていなかったら?」。そんなことを想像してしまう。

<つづく>