ゲイとして生きる君へ

中学時代に同性愛に目覚めカミングアウトしてました。過去や現在のことを綴っています@福岡

ゲイブログを読みながら振り返る1年(2018年4月-6月)

2018年の4月からの続きを書きます。

4月1日には熊本の辛島公園で開催されたレインボーパレードに行ってみた。

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相変わらずパレードといったイベントには、一歩踏み出すことが出来なかったけど「ある女性」と出会えたので、むしろ参加できなくてよかったのかもしれない。「また来年も同じ場所に行ってみたら彼女と会えるかもしれない」と思ったりするけど、もう行かないだろう。彼女のことは過去の思い出として大事にしまっておいて前を向いていきたい。

それに、やっぱりパレードなどのイベントに対する違和感が消えなくて、その辺の気持ちを整理するために『LGBTの社会活動との関わり』を書いた。彼女と辛島公園のベンチに座って二人きりで話してみて、ボクはやっぱり集団と接するよりも、個人と接する方が性に合っていると思った。パレードには参加できなかったけど、この公園にいること自体が、周囲から見れば「ボクはゲイだよ」と公開しているようなもので、陽の当たる時間・場所で、ゲイの素顔を晒したのは中学時代や高校時代ぶりだった。

4月には文章に書いていないけど、他にもいろいろなイベントに顔を出している。ずっと春になるのを待ちわびていたから、それまで待っていた分だけ全開で動き始めた時期だった。実際に行ってみて後悔をするようなことも多々あったけど、じっと立ち止まって考えるよりも、あれこれ行動しながら考えるのが性に合っているので苦にならなかった。

ブログの方は、『ゲイ集う成人映画館の手記』を書き始めた。

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文章のタイトルに「成人映画館」というキーワードが入っているにも関わらず、成人映画館に関してはほとんど触れないという、期待してくれた人には残念な内容だったのかもしれない。前半部は京都時代の「Mugenさん」との出会いを書いている。このMugenさんとの出会いが「ゲイの世界」へと踏み出すきっかけになった。彼が『京都ハッテン場ガイド』というホームページを作ってくれなかったら、ボクはもっと遅れて「ゲイの世界」に足を踏み出していただろう。今、こうやってゲイブログを書いていなかっただろう。Mugenさんのことは書こうかどうか迷っていた。ハンドルネームとはいえ、初めて特定できる名前を出して文章を書くことになるからだ。でもボクの中では今でもゲイの世界の「師匠」のような大事な存在だと思っている。あの日の夜、京都御所に行って彼と偶然に出会って話せてよかった。

5月には博多どんたくのパレートや東京レインボープライドに行った。

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この5月上旬に関しては書くことが多すぎる。ゲイのブロガーの方と東京で初めて直接会ったり、初めて新宿2丁目に行ったりと、今でもこの数日間のことをよく思い出す。本当はもっと書きたいことがあるんだけど、この数日間のことは胸の中にしまっておこうと思う。

そして福岡に戻って5月中旬、福岡市で初めてゲイの方と直接顔を合わすことになる。ボクは彼に謝罪しなくてはならないことがある。それは……ボクが待ち合わせ場所を完全に間違えたことだ。西鉄天神駅の「中央口」と「北口」を勘違いしていた。このブログの文章中でも西鉄天神駅は何度も出て来ているけど、ボクが「中央口」と書いているのは正しくは「北口」だった。福岡に住んでいるくせに「中央口」と「北口」を逆に認識していた。ショウタさんから間違いを指摘されて初めて気が付いた。道理で彼と待ち合わせ場所でスムーズに落ち合うことができなかった訳だ。それが8月になってショウタさんから指摘されて、ようやく合点がいった。ごめんね。わら。

ブログの方は、『ゲイとして福岡で生きていくことに決めた』を書いた。

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それまでは「やっぱり東京に行かないと無理かな」と迷いもあったのだけれど、東京に行ってみて完全に迷いが吹っ切れた。この時期から「福岡でゲイとして生きていくのにはどうしたらいい?」と模索が始まる。でも個人で活動できることなんて限られていた。ただ限られた中で、ボクができるのは愚直に毎日文章を書き続けていくだけだと思っていた。もう熊本のパレードに行った時から、この答えが出ていたような気がする。一周回ってようやく「これしかない」と決断した時期だった。

6月には特にイベントに参加してない。

この時期、ようやく春からの一連の活動の幕を閉じて頭を冷やす時期に入った。いろいろなイベントに行ってみて感じたことを整理していた。ただ6月上旬に博多駅で2人目のゲイの方と会って話をした。彼は年上と思わせないくらい若々しかった。ボクの方が11月にtwitterアカウントを閉鎖してしまったので、もう彼と連絡を取ることはできなくなった。ただ、彼に食事代をおごってもらったままになっているのが、今でも気になっている。その分、若い人と食事した際におごる形で返しているつもりだけど、それでも未だに気になっている。今でも博多駅を歩くたびに彼のことを思い出す。

ブログの方は、5月31日から書き始めた『ゲイとしての地方での居場所づくり』を書き始めた。

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東京に行ってみて感じたことを含めて「もうボクにできるのはこれしかない」と仮説を立てまとめて書いた文章だ。

この一連の文章だけど読者からの反響が今でも大きい。

個別にメールをくれる人も、この文章について共感してくれる人が多い。ボクの中でターニングポイントになっている文章だ。失敗してもいいから、間違ってもいいから仮説を立てて文章を書いてみるということに可能性を感じた。この文章が今日に至るまで、ボクが文章を書き続ける原動力の一つになっている。

<つづく>