カミングアウトした過去と他人との距離感<10>

最近は美術館めぐりをやりすぎてしまって、あの時みたいな感動を味わうことが少なくなってしまった。

ちなみにボクが今好きなのは『坂本繁二郎』という画家の描いた絵だ。

この画家は福岡出身で有名な作品として『放牧三馬』がある。地元出身だけあって福岡に住んでいると坂本繁二郎の絵を目にする機会が多い。ボクは福岡市美術館で開催された静物画を集めた展覧で初めて坂本繁二郎の描いた静物画を目にした。

それまでは坂本繁二郎の絵は「馬」や「人」といった作品を何度も目にしていていたけど、セザンヌやマネといった画家の描いた絵を見た時と同じように何がいいのか全く分からなかった。ただ、その展覧会で坂本繁二郎の描いた静物画を見てから、他の画家の静物画との異質ぶりに驚いてしまった。

坂本繁二郎の描いた絵は坂本繁二郎にしか描けない絵だった。

留学して洋画の描き方を学んで帰ってきた他の日本画家とは違って、もはや坂本繁二郎の世界を築き上げていた。日本どころから世界のどこにもいない坂本繁二郎の独自の世界を築いていた。

それまで分からなかった彼の絵の世界のよさが理解できるようになった。それから坂本繁二郎の画集を買って時間があれば眺めるようになった。日本画家の『岸田劉生』らのように本物と間違うほどに精密に描かれた静物画と全く違った描き方だった。ボクは写実的な絵より、抽象的な絵の方を好む傾向があるようだ。

それと今気になっているのは『香月泰男』という画家だ。

いつか香月泰男の出身地の山口県にある『香月泰男美術館』に行ってみたい。

ここ最近、『クラシック映画』や『児童文学』や『絵画』について長々と書いてきたけど、もう一つだけ書きたいことがある。ボクが好きなこの3つの要素をまとめた作品があるのだ。

それは高畑勲監督の『かぐや姫の物語』という映画だ。

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たまたま映画館で何かの映画を観た時に、この『かぐや姫の物語』の宣伝映像を見る機会があった。

今となっては、そもそも何の映画を見た時に、この映画の宣伝映像を見たのか覚えていない。ただ『かぐや姫の物語』の方が、あまりにインパクトが強くて劇場公開したらすぐに観ようと決めた。そして公開2日目に映画館に足を運んで観た。

高畑勲監督の前作『となりの山田くん』を観た時から、漠然と監督が作りたいものは分かっていたのだが、ボクはこの映画を観て、印象派の画家レベルの絵かきが一本映画を作ってしまったように感じた。その絵の描き方も『いわさきちひろ』や『セザンヌ』などの画家のように、無駄な線や色を極力使わないで描いたように感じた。それに昔からある絵巻物を下地にしているようにも感じた。

それらの要素をまとめて映画のアニメーションという新しい形で表現したように感じている。

センスのある「線」がある。

センスのある「色」がある。

絵に「線」や「色」といった「情報」を描いたり塗ったりすればするほど、ある意味で分かりやすくなるのだけれど、それらの線や色を極力描かない絵もある。センスのある線と、センスのある色を探して描くのはより難しい。例えば宮崎駿監督のほぼ同時期公開の映画『風立ちぬ』の中で、堀越二郎と菜穂子が避暑地の泉の前で再会するシーンがあるけど、あのシーンは描き込みの極致だ。逆に、この映画『かぐや姫の物語』の絵は、センスのある線や色を探しながら描かれている。ただ、この手法は万人受けはしないだろうと思った。

児童文学というカテゴリーにしていいのか分からないけど、そもそもの出典が『竹取物語』と古典中の古典だったりと、かぐや姫がなぜ月から地球に来たのか分からない。なぜ竹からうまれたのかも分からない。なぜ月に帰ることになったのかも分からないと、この問いかけが、ずっと人を魅了し続けて現在にまで残っているのだと思う。この映画『かぐや姫の物語』の中でも、これらの問いかけの答えを、はっきりと描かれていない。高畑監督の解釈も描かれていない。あくまで映画を見る観客に投げかけているだけだ。すぐに答えを求めてしまう現代人には万人受けしないだろうと思った。

いろいろな要素があった、この映画はボクの中でも特に印象に残っている。

最後に一つだけ。

ボクが高校時代に見て感動した同級生の絵は『かぐや姫の物語』の絵と、とても似ていた。

<つづく>