僕が秘密にしていること<下>

ボクの高校時代に起こった出来事の中で、いくつか絶対に書けないことがある。


恐らく、今ならマスコミ案件になってそうな 出来事で、一部マスコミ案件になりかかってしまったんだけど、これ以上は書けない。


この件について詳しく書いて、同じ高校の同級生が文章を読んでしまうと、ボクが誰なのか絶対に分かってしまうはずだ。このサイトの読者が読んだら面白いだろうし書きたいと思う反面、絶対に書けないのが残念だ。


LGBT当事者は自殺率が高いと言った文章を読むことがあるけど、それが事実なら、よくボク自身は自殺を選択しなかったと思う。それは両親を含めて、周囲に自分のことを受け入れてくれる人が、わずかだけど存在していたからだと思う。


イジメを受けて自殺する生徒のニュースを目にすると、イジメを受けているのに誰にも言わないで秘密にしたまま死んでいく人がいる。ボクは会ったこともないのにどこか共感してしまう。テレビでは遺族や学校関係者が「なぜ自殺したのか理由が分からない」「もっと相談してくれたらよかった」と言っているけど、秘密にしたまま死んでいった生徒の気持ちがなんとなく分かるような気がする。


ボクが高校生が主人公の物語を好んで読んでしまうのは、そういった背景があるからだと思う。物語の主人公に自分自身を投影して共感してしまっていると思う。どこか自分に似た要素のある主人公が出てくる作品ばかり読んでしまうのだと思う。


それと、そもそも『高校時代』に限らず、ボクは秘密にしている事が多かったりする。


本当のことを赤裸々に書くのも大事だと思っているけど、それと同じくらいに秘密にすることも大事だと思っている。


そういった秘密にしていることは、メモ帳にも書いていない。どうせ他人が事実を知ったからと言って「そうなんだ」くらいで拍子抜けして終わるような、そんな些細な秘密だったりする。そんな些細な秘密を胸に秘めているのが、少し楽しかったりする。いつかボクが死ぬ時が来て、身体と一緒に些細な秘密が消えてしまうのをどこか楽しみにしている。


『高校時代』


そういった秘密にしていることが多い分、文章を読む方として面白いのかもしれない。


特に文章に書いている表の面だけでなく、文章に書かれていない裏の面も読み取ろうとする人にとっては尚更なのかもしれない。


文章には書いていることだけでなく、あえて書いてないことも沢山ある。「これは書く」ということを自分の中で決めて書いているけど、「これは書かない」ということも自分の中で決めて書かないでいる。


彼と『高校時代』について話しながら、そんなことを考えていた。


<終わり>