ライナーノーツ<5>~大人の同性愛世界の入り口~

「もっと別の道があったんじゃないかと今でも思う時がある」

 

京都市内は大学の数が多い。ついでに銭湯の数も多い。

そういった状況なので大学近くの銭湯には大学生が多く訪れていた。そんな大学生を目当てにゲイたちも多く訪れていた。京都市内にある銭湯の出会い系掲示板も立ち上がっていて、それなりの頻度で書込みがあった。もちろんボクがゲイの方と遭遇した銭湯の呼び込みの書込みも数多くあった。

ボクを見て「こいつはゲイだな」と思って声をかけた方も、ボクの反応が薄くて間違ってノンケに声をかけてしまったと思って逃げたのだろう。あのゲイの方の勘は鋭くて間違っていない。むしろ勘が鈍かったのはボクの方で不穏な銭湯内の空気に全く気がついていなかった。

今になって振り返ってみると「大学の同好会にどうして顔を出してみようと思わなかったんだろう?」と不思議な気がする。

ゲイカップルの弁護士の南和行さんと吉田昌史さんは、京都大学のゲイ関連のイベントがきっかけで出会って付き合うことになったのだ。彼らと年代的にも近く、恐らく吉田さんが大学を卒業して社会人になった時に、ボクの方がすれ違いで京都市内の別の大学に入学している。

ボクは彼らが書いた『僕たちのカラフルな毎日』を読んで、大学時代の自分の選択を後悔していた。

もし同好会に入っていれば、自分の大学だけじゃなく他の大学のメンバーとも幅広く交流があったかもしれない。京都市内にある他大学のサークルの紹介冊子を見る機会もあって、他の大学にも似たような同性愛の同好会が存在していることを知っていた。

もし同好会に顔を出していたら、もっと違った人生が待っていたかもしれない。

でも当時のボクは頑なに同好会の存在を拒否していた。

今更になって後悔してみても仕方がない。恐らく当時のボクは同じ大学の同級生にバレるのが怖かったのだろう。

あの当時のボクは「自分はゲイじゃない」という演技を頑張っていた。

そんなボクと同じように、ゲイの同好会について話したゼミ仲間も「俺はゲイじゃない」という演技をしていたかもしれない。同性愛者は身近にいて、高校時代の同じクラスにはボク以外にもゲイが二人いた。一つのクラスに最低三人はいたことになる。

銭湯の話には少しだけ続きがある。

大学のゼミの飲み会が終わって、ゼミの教授を含めて男連中の数人で「銭湯に行こう」という話が出てきた。その時、メンバーの一人が「あの銭湯ってホモがいるんですよ」と言い出して「襲われたらどうしよー」と騒ぎ始めた。ボクは皆の前で作り笑いをして彼らの会話を受け流していた。そしてこっそりと銭湯に行くのを辞退した。

恐らくあのゼミのメンバーにも、もう一人くらいはボクと同じゲイの人はいたはずだ。きっとボクと同じように作り笑いをしながら話を聞いていたんだろう。

素知らぬ顔をして話しているけど、身近に自分と同じゲイの人はいる。

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