お互いの共通点を見つけること作ること

このサイトの更新を再開しようと思っている。

 

本当は4月下旬にある方とメールのやり取りをしたのがきっかけになって、3月に書きかけていた文章の続きを書いた。でも書き終えた文章を保存する前に誤って消してしまったので心が折れてしまっていた。同じような内容の文章を2回も書くのは気が重たくて、なかなか文章を書く気分になれなかった。それでこの場で「このサイトの更新を再開しようと思っている」と宣言して、退路を断ち追い込んでしまえば書く気分も沸き起こってくるだろうと思いながら書いている。

 

近状について書きます。

 

今年のGWは一日だけ帰省したのを除いてずっと福岡にいた。

 

去年のGWは東京まで行ってTRPに参加したけど、今となっては懐かしくなってしまうくらいに状況が変わっている。

 

10連休のうち9日間くらいは彼と一緒にいた。これまで家族以外の人と、ここまで連続して一緒にいたことはなかった。当初は「10連休なんていらない」と思っていたけど、後になって思い返すと「ここまで連続して誰かと一緒に過ごせる機会は今後は持てないかもしれない」と考えてしまって「もっと連休前にどうやって過ごすか決めて準備しておけばよかった」と後悔も沸き起こってくる。とはいえ連休中、映画を観たり、陶器市に行ったり、筍を堀りに行ったり、バラを観に行ったり、地元の祭りに行ってみたりと、いろいろなことをして過ごした。

 

そんな中で、一番時間を使っていたのは以前から少しだけ書いている、彼と一緒にやろうとしている「ある事」だったように思う。

 

ちょうど連休中に、彼が「男女の関係だったら子どもが出来れば『子育て』という共通の目標ができて夫婦一緒に取り込めるけど、ゲイ同士の関係じゃ無理だよね。やっぱりゲイっていう共通点だけじゃ難しいと思う。こうやって二人で一緒にできることがあってよかった」という風なことを言っていた。僕も以前からずっと同じことを感じていた。

 

僕と彼は物の考え方などの価値観は似ているけど「ゲイという共通点」と「考え方や価値観が似ているという共通点」だけでは長く続く関係は難しいと思う。この状態で彼と一緒にデートするにしても、映画を観たり、どこかのイベントに遊びに行ったするぐらいで、そんなことを続けていても飽きてくるし、いつかは会話も尽きてくるはずだ。毎回天神かどこかでデートしているだけでは、いつかは限界がくるように思う。お互いの共通点を作りすぎるのも、いつもベッタリの関係になって問題だと思う。それに共通点を作ると、お互いに深い面も見えるようになっていい面だけじゃなく悪い面も見えてしまうこともあるだろう。ただそれらを踏まえても、そもそもゲイ同士の関係に限った話ではないけれど、ある程度の共通点を作らないと関係は長続きが難しいように思う。

 

例えば『僕たちのカラフルな毎日』を書いた南和行さんと吉田昌史さんには「地元や大学が同じ」や「弁護士」で一緒に仕事しているという共通点があったように。例えば『同性婚で親子になりました』を書いた、八木裕太さんには「オタク」や「同人誌(もともとの出会いは同人誌のコミケで八木さんが書く側で相方が読む側だった)」といういう共通点があったように。

 

出会った時に、お互いに幾つかの共通点が見つかっていればいいけど、そんな偶然もなかなか難しい。でも共通点が無ければ無いで、会話の中からお互いに共通点になりそうな要素を探して出して一から作っていくしかない。共通点を築くまでに関係が切れてしまえば、その関係はそもそも無理だったと諦めるしかないように思う。

 

そういったことを考えていたら、このサイトもボクらにとってはある種の共通点であることに気がついた。そもそもボクは彼から「Aiぽい」と言われるくらいに感情が少ないようで、そんな何を考えているか分かりづらい性格の僕にとっては考えていることを文章に書くのはいいことなのかもしれない。これから先もバランスを取りながら、お互いの共通点を見つけたり作っていきたいと考えている。