おのぼり二人紀行<23>

いくつかの駅で乗り換えをしてから駒場東京大学前駅で降りた。

 

僕たちは大学生に道を尋ねながら駒場キャンパスのテニスコート近くの門を通り過ぎた。

 

次の目的地は『日本民藝館』だった。

 

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そもそもの訪れるきっかけとなったのは、当日の朝、彼が蔵前駅で『日本民藝館』のポスターを見つけたからだ。でも、よくよく考えてみると、少し前に僕も日本民藝館を創設した柳宗悦の『手仕事の日本』を読んでいたので、これはいい機会かもしれないと思った。恐らくだけど、彼は僕が行きたそうな所を選んで「日本民藝館に行きたい」と言ってくれたのかもしれない。

 

少し話が逸れるのだけれど、次に東京に行く機会が会ったら日本民藝館の近くにある『旧前田侯爵邸 和館』に行ってみたいと思っている。今、僕が東京で一番行って見たい場所がそこかもしれない。拝観だけなら無料らしいので、もしこの文章を読んでいる人で近くに住んでいるがいれば是非行ってみて欲しい。

 

この章の冒頭に名前が出てきた染物家の『志村ふくみ』と『柳宗悦』には関係がある。

 

もともと志村ふくみさんの実の母親が柳宗悦と交流があったらしく、志村ふくみも柳宗悦の弟子になった。その後、彼女はある展覧会で出品した作品が原因で破門になっている。この破門に関しては、いろいろと理由はあるみたいだ。ちなみに前日に上野の国立西洋美術館でロダンの『地獄の門』を見たけど、これも志村ふくみさんが何かのテレビ番組で訪れているのを目にしていた。嵯峨野の工房には行けなかったけど、思いがけず彼女の足跡を辿ることができた。

 

僕たちが日本民藝館に訪れた時、特別展の『藍染の絞り 片野元彦の仕事』が開催されていた。片野元彦と志村ふくみにも交流があって、彼女に藍染めで使う藍の立て方を教えている[*1]。

 

www.mingeikan.or.jp

 

これは書くまでもないけど、柳宗悦の厳しい目を通して選ばれた展示物は、どれの美的センスが良かった。同じような感動を数年前に九州国立博物館で開催された『近衛家の国宝』という展覧会でも感じたことがあって、あの時は図録まで買ってしまった。

 

僕は2階の特別展の入り口付近にあった「ある書軸」の前でふと足を止めた。

 

その書軸には『悲願』と書かれていた。

 

作品の解説文を読むと柳宗悦が、藍の絞り染めをしていた片野元彦に送ったものらしく、この書軸と一緒に「絞を悲願とせられるよう祈る」と書かれた手紙が添えられていたらしい。それまでも『悲願』という言葉を何度も目にしてことがあったはずなのに、とても美しい言葉だと改めて思った。それから不思議とその書軸の前から動けなくなってしまった。

 

僕は『悲願』という言葉を見ながら「ある文章」を思い出していた。

 

<つづく>

[*1]日本のたくみ 新潮文庫 P.26 著者:白州正子