今日、以下の記事を読んだ。
後半の就活の話は置いといて、前半の「嘘」に関する話は「ゲイなら分かるだろうな」と思いながら読んだ。記事の投稿者は二十一歳で、ボクもそれくらいの年齢までは「嘘」をつくことに罪悪感を感じていた。ただ……そのうち「嘘」をつくことに罪悪感なんて感じなくなってしまったけど。
ボクのゲイの遍歴は次の通り。
○中学・高校時代
同級生にカミングアウトしてしまい、学年全体に知られてしまった。母親にはバレていると思うけど、ボクの方からカミングアウトはしてはいない。
○大学時代
大学の同級生には、ゲイであることを隠してノンケのふりをしていた。密かにハッテン場に行ったり、出会い系の掲示板に書き込んで男と会ったりしていた。大学前半までは、同級生に「嘘」をつくことに罪悪感を感じていたけど、大学後半から徐々に罪悪感がなくなってきた。
○社会人時代
同僚から「少しホモぽくない?」と指摘を受けて、職場でホモキャラの演技を開始。本当にゲイなんだけど、周囲にはホモキャラを演技をしていると思いこませていた。この辺から「嘘」がエスカレートして、完全にボクの中で麻痺状態になった。
○社会人時代(転職後)
ホモキャラは封印して、今は完全にゲイであることを隠して生きている。
そもそもゲイであることを隠して生きると決めたのは、高校時代のある出来事がきっかけだった。まず一つ目は教育実習生に来ていた人との間で起こった出来事。以下の記事に詳しく書いている。
そして、同じ時期にもう一つ出来事があった。高校三年の学校帰り、たまたま小学時代の仲の良かった友人と出会った。懐かしかったボクは気軽に声をかけた。すると思わぬ反応がかえってきた。
「ホモ! キモい! 死ね! こっち来るな!」
そう言って凄く冷たい視線でボクを睨んでいた。
その小学時代の友人とは、中学から別の学校に通ってて会うのは小学校の卒業以来だった。小学時代は毎日一緒に遊んでいた仲だった。恐らくボクがゲイであることを人づてに聞いたんだと思った。ボクは頭を下げてそのまま友人の側を通り過ぎた。
二つの出来事は、悲しくて傷ついたけど彼らを責める気にはならなかった。ボクもノンケだったらゲイに対して同じような態度を取ったかもしれないからだ。ボクは普通に生きて行くために大学時代からは「嘘」をつき始めた。そして社会人になってから「嘘」をつくことに罪悪感を感じなくなっていた。ボクは「嘘」をつき続けて死にたいと思ったことはないけど、嘘をついて生きていくことが辛いと感じるゲイもいると思う。
ボクにとって幸運だったのは、中学や高校時代にカミングアウトして、ボクがゲイであることを受け入れてくれ、普通の友人として接してくれた人が何人かいたこと。そして社会人になってからも一人だけど、ゲイであることを打ち明けで普通の友人として接してくれている人がいること。
職場の同僚全員にゲイであることを受け入れて欲しいとかは無理だと思うけど、過去にゲイであることを受け入れてもらえた体験があれば、それを糧にして、なんとか今後も生きていけるのではないかと考えている。