小説『虹色のディストピア』の感想

 noteというサイトに掲載されている『虹色のディストピア』という小説を読んだ。

 作者の英司さんを知ったのは、少し前にボクのtwitterアカウントをフォローしてくださったのがきっかけだ。ボクも英司さんのアカウントをフォロー返しして、英司さんが『虹色のディストピア』という小説を書いたという告知が、twitterのタイムラインに流れて目についていた。その後、ひょんなことから英司さんとメールのやりとりもさせてもらって、以前から『虹色のディストピア』のことは気になっていたし、いつかは購入するつもりだったのでnoteを購入して読んでみた。

 まえがきで「ポリティカルコレクトネス疲れ」をテーマにしていると書かれていて、これとLGBTの関連性が分からず「はて?何の話だろう」と読み進めて行くと以下の文章に出くわした。

“次のニュースです。LGBT人権法の創設を求め、当事者団体が議員会館を訪れ意見書を提出しました。早期実現を求める野党に対し、与党は慎重な姿勢を取っています。”

(中略)

このニュースに出てきた意見書を提出した「当事者団体」によると、僕らは就職も困難で、貧困に陥り、差別や弾圧を受けているらしい。正直どこの国の話しだろう。少なくとも僕は彼らの言う「LGBT」には含まれていない。それはきっとヒロやユウキのような、どこにでもいるゲイたちも一緒の感覚だろう。

 この小説の中では、「LGBT人権法」の成立をさせようという話が出ていて、その法案に対する主人公の考えになる。この文章を読んだ時に、ようやく作者の英司さんが小説の中で伝えたいことが理解できた。小説の中に出て来る登場人物たちは、この「LGBT人権法」によって翻弄されていく。その法案によって社会や職場や周囲の人間たちがどう変わっていくのかが引き込まれて、読み始めて一気に読み切ってしまった。

 これは推測だけど、この小説を読んで恐らくボクと英司さんの考えは、かなり似ているのではないか?と思った。

 日本では東京オリンピックに向けてLGBTに関する理解を普及させようと急速に進めている。ネットニュースで流れていたけど、NHKのBSプレミアムという枠ではあるけど『弟の夫』がドラマ化されるらしい。それに他の放送局のドラマでもLGBTの登場人物が出て来るようだ。ボクはこれを歓迎している一方で少し不安も感じている。

 東京オリンピックが終わった後かその前ぐらいに、この急速に進んでいる流れの反動があるような気がしている。LGBTを許容していくことに「賛成」する立場が強くなる一方で、必ず「反対」している立場の人たちもいる。そしてそれらの潮流に対して「中庸」の立場の人たちもいる。

 今の日本の状況では、LGBTに関する理解を普及させることに反対という意見を公の場で発言できない。

 それでも反対派の人たちは一定数はいるはずだ。ボクはその反対派の人たちがいることが悪い事だと思っていない。きっと潮流が変わって「賛成」から「反対」の流れが強くなることもあると思う。このまま順調にLGBTを許容する流れだけが進んで行くとは思えない。ただこれはLGBTに限らない話だと思う。ボクは日本という国では、急速に何かが浸透していくより「やんわり」と「じっくり」と時間をかけて浸透して行く方が合っているような気がする。その浸透する時間がもどかしいけれど……
 
 ボクはこのサイトで、できるだけ社会的な発言はしないようにしている。LGBTに対する理解を進めようという流れに「賛成」する立場でもないし「反対」する立場でもない。サイトで文章を発信している立場上、全く黙ってもいないので「中庸」とも言えないような中途半端な立場だ。ボクはゲイだからゲイの人に向けてしか発信できないけど、ボクにできることは自分の今まで生き様を書いて、「こいつみたいな人生にはならないようにしよ?」と反面教師にしたり、「こいつバカじゃない?」と時間潰しに笑ってもらえればいいと思っている。

 ただLGBTに関して、賛成の立場にせよ反対の立場にせよ社会的な発言や活動をしている人は尊敬している。実際にその人達が活動して意見をぶつけ合ってくれたことによって、今のLGBTに関する理解があると思っている。恐らくボクが中学時代や高校時代にカミングアウトしていた頃よりは、はるかに生きやすい時代になっていると思う。ボクは自分の手を汚さずに濡れ手で泡を掴むように彼らが活動の成果を享受させてもらっている。

 ボクは何もしないままでいいのかな?

 以前から、テレビでLGBTに関するして発言している人たちを見てそう思っていた。そのことに対して心の中で後ろめたさを感じていた。その代償としてボクの中の勝手なルールとして、このサイトにアフィリエイト関連のリンクは貼らないようしている。リスクを背負って公の場に出て活動している人たちがいるのに、このサイトで本名を隠して匿名でしか文章を書くことができないことに自分に対する贖罪だと思っている。

 話しは『虹色のディストピア』に戻る。ボクは英司さんの文章を読んで嫉妬してしまった。「ポリティカルコレクトネス疲れ」や「LGBTの人権向上」に関する流れに対して、同じような漠然とした不安は思っていたけど、その不安に向き合って小説という形で表現してしまったことに対してだ。英司さんの文章を読んでいて、「創作小説」を書いてみたいという気持ちが沸き起こってしまった。今は自分に起こった過去や現在の出来事を中心に文章を書いているけど、いつか発信したいと思える何かが沸き起こって来たら小説という形で書いてみたいと思う。

 ボクは現時点では匿名の立場でしか発信出来ないけど、この作品で描かれたようなディストピアの世界にならないようにするには、賛成・反対・中庸のそれぞれの立場のLGBT当事者や周辺の人達が意見を出し合って、それぞれの立場の意見を補完しつつ落とし所をゆっくりと見つけていかなくてならないと思う。そして、その意見を形にするには、小説でも漫画でも歌でも絵画でもどんな形態でも発信していけばいいと思う。