福岡の有料ハッテン場に来ていた。福岡に引っ越ししてから冬場になると年に2回〜3回くらいは有料ハッテン場に通うようになっていた。なんで冬に行くのかといえば寒くて人肌が恋しいからかもしれないけど、理由ははっきりと分からない。
ボクは有料ハッテン場に入って真っ暗な廊下に立って通り過ぎて行く人たちをただ眺めていた。全裸デーだから、みんな裸にタオル一枚の姿で歩いていた。そんな彼らの姿を見ている時にふとあることを思った。
そういえば……『ボクの彼氏はどこにいる?』の作者って有料ハッテン場に行ったりしたことないのかな?
あの本の中では、そういった内容はおろか同性愛者の性的な部分がほとんど触れられていなかった。別に書かれていなかったことに対して文句を言っているわけではない。同性愛者の生々しい性的な部分まで書いてしまうと講談社文庫に並べるのは無理だと思う。恐らく同性愛者について広く知ってもらいたいという趣旨の本だったので、きっと編集者と話した上で内容を決めているはずなので別にそれでいいとは思う。
ただ……なんとも言えないモヤモヤとした感覚は続いていた。
彼はボクと同じように有料ハッテン場に行ったことがないのかな?
出会い系の掲示板に書き込んだりしたことはないのかな?
名前も知らない男性と肉体関係を持ったことはないのかな?
こんなこと考えてしまうこと自体、ボクの肉体も精神も汚れきってしまっているのかもしれない。でも現実としてボクの目の前を、裸にタオル一枚を腰に巻いて多くのゲイが歩いているのも確かだった。
それに大学時代から出会ってきた多くのゲイの人たちも今のボクと似たような人生を送ってきていた。日中はゲイであることを隠して生きていて、夜中になるとゲイの本性を隠さずに生きていける場所に出向いていた。ボクや彼らの存在だってゲイの中の一部だった。
ボクがあの本の第4章から抱き始めた違和感の正体が徐々にはっきりとしてきた。
それはインターネットに出会ってからのボクと彼との人生の差だった。
彼はインターネットを通して出会ったゲイ仲間たちと仲良く集まったり、同性愛者の理解を広めるような講演会に参加していた。両親や周囲の人にカミングアウトして生きていた。
一方で、ボクは同じインターネットを通してゲイの世界に出会ってから、出会い系サイトに書き込んで見知らぬ人と出会ったり、有料ハッテン場に行ったりしていた。ゲイであることをひたすら周囲に隠して生きていた。
なんで同じインターネットに出会って、こんなに違う人生を歩んでるんだろう……
これが東京と地方に住んでいるゲイの違いなのだろうか?とも思った。彼は新宿に行くのに30分もかからない場所に住んでいたようで、そういった状況の差から出てくるものかとも思った。でもそれだけの差とは思えなかった。
彼の生き方が同性愛者の「光」の部分なのかは分からない。ボクの生き方が同性愛者の「闇」の部分なのかは分からない。
そんなことはどうでもよかった。ただ現実として別の生き方を選択しているゲイの人たちが多くいることを、同性愛者や同性愛者ではない人たちにも知っておいて欲しかった。それにゲイであることに悩んでいる若い人たちにもきちんと知って欲しかった。
ようやくモヤモヤしていたものの正体がはっきりと見えてきた。
そしてボクが本当に読みたかったものが分かった。
ボクが本当に読みたかったものは、一人の人間が同性愛に目覚めて、どんなことに悩んでどんなことに葛藤して、どう考えてどの道を選択して生きているのか、その人の人生を細かく描いた文章。そして同性愛者として生きて行く中で「光」の部分と「闇」の部分も含めて描いた文章。
でも……そんな文章を読みたいと思っても、果たしてそんな文章が出回っているのか?と言われれると探しても見つからなさそうだなと思った。
この時点でもボクは自分で「書く」なんて思いもしなかった。誰かが書いたものを「読む」ことしか考えていなかった。でもこのサイトを始める1つ目のきっかけとなった歯車が回り始めていた。
<つづく>