「あの……」
後ろからボクが声をかけたことに気がついて、彼は振り返った。
「今日は福岡まで来てくださってありがとうございます」
「あっ……どうもこちらこそ」
「前回は福岡の薬院でライブをされましたよね? そちらも行きました」
「あぁ……前回のライブも来てくれたんだ! ありがとうございます!」
ライブが終わった後で、会場内は周囲の話し声や騒音で溢れていた。彼はボクの声を聞こうとして、ボクの口元に耳を傾け聴いてくれた。
「実は……邦楽できちんと聴いている歌手って『中島みゆき』と『工藤慎太郎』だけなんです」
「あははははは! 中島みゆきと俺って、それは'濃すぎ'でしょ!」
彼はボクの口元から耳を離して、大きな声を上げて笑いだした。なんとなく笑われる可能性はあるとは思っていたけど、「濃いか……やっぱり言われちゃったな」と思った。そうボクは子供の頃から、なんとなく好きになるものが周囲と違っていて、ゲイだからというだけでなく、趣味とかの面でも周囲の人と話が合わず、なかなか溶け込むことができなかった。でも事実なんだからしょうがない。きちんとCDを全て揃えているのは、確かにこの二人だけなのだ。この二人の他は、たまたま耳についた曲を購入して聴くことはあるけど、特に揃えようなんて思ったことはなくて、つまみ食いのような聴き方しかしていない。
でも……笑われるのも含めて、ここまでの彼との会話は全て事前に決めていた内容だ。
「これからもずっと歌い続けてくださいね。頑張ってくださいね!」
「ありがとう」
ボクらの会話が終わると、彼はすぐに年配の女性から声をかけらて、そちらの対応をすることになった。どうやらその年配の女性も知り合いのようだった。ボクは彼の前を通り過ぎる際に、もう一度、頭を下げた。彼は年配の女性と会話しつつも目の端にボクの姿が入っていたようで、女性の話を耳に傾けながら少し頭を下げた。
「それだけ?」と思われるかもしれないけど、ボクは彼にお礼の言葉を伝えたかった。まさか短時間の会話で、ボクのことなんて知ってもらえる訳でもなくて知って欲しい訳でもなかった。ただボクの人生に変化を与えてくれた、最後の後押しをしてくれた彼に、どんな形でもいいのでお礼の気持ちを伝えたかった。前回のライブの終わった後、彼に聞こえないくらいで小さい声で「頑張ってください」と呟いて逃げるように出て行ったけど、そんなことはしたくなかった。
ボクはこの文章の冒頭に、前回のライブに行って、「かっこ悪くて恥ずかしいくてもいいんじゃない? 書き続けてみなよ。俺も歌い続けていくからさ」と優しく背中を押してくれたように感じたと書いた。
でも今回のライブが終わった時に感じたのはこんな気持ちだった。
「もう一人で書けるよね? 俺は俺で歌い続けていくけど、これからは君は君で書き続けていきなよ」
そう感じた。ボクは彼に対してとても感謝している。きっと彼と会わなかったら、それまでと同じ人生を、ただ繰り返していただけだから。ボクはこのライブの翌日に福岡市が開催したLGBTのシンポジウムに行くことに決めていたけど、あの日に彼と会わなければそんな場所に行くなんて思いしなかった。ずっと何かが起こるのを、誰かが現れるのを、ただ待っているだけの人生だった。彼と会わなければ、きっと一歩も進んでいなかった。
ライブの間も終わってからも、ずっと泣かないようにしていたけど、夜遅くに家に帰ってきて、電気を消して眠ろうとした瞬間に、久しぶりに泣いてしまった。何となく今日が「卒業式」のように感じてしまった。
ボクはもうかっこ悪くて恥ずかしくて文章を書くのを止めたいなんて思わなくなっていた。このサイトの更新もできうる限り、毎日続けていく。きちんと自分が感じたことを文章にして残していこうと思っている。
このライブで『遠い場所の君へ』の次に歌った『旅の途中(なか)』という曲がある。
君は今、旅の途上(なか) 心壊れる重荷を背負い
疲れたら休みなさい 歩き続けた峠道
心から愛するその人と 一歩づつ歩きなさい
幸せ探しに二人の歩幅で 一歩づつ 一歩づつ
この曲の歌詞が、これからの自分に対する「はなむけ」のように感じた。
「これからどうなるかは分からないけど、ボクの人生を変えてくれてありがとう」
ボクは彼にそういった思いを込めてお礼の言葉を伝えたかった。
<終わり>
遠い場所の君へ(歌詞)
旅の途中(なか)(歌詞)