ボクは、主人公が過去の自分の姿に似ていると気がついてから、小説を再び読み始めた。
そして読み進めていくうちに、この小説のメッセージの一つに、
「人間を信じる」
という思いを込めて書いていることが分かった。
そのメッセージの全てが、終盤の「終業式のシーン」に込められているように感じた。そのシーンを「この作者はボクと同じように、人間が好きで信じてるんだろうな」と思いながら読んだ。
そもそも主人公の第一印象が「人間を信じていない奴」だったから、その主人公が「人間を信じる奴」に変わっていく姿を見ていると、これまた自分と重ね合わせ読み進めてしまった。
以前、作者の浅原さんは4月にtwitter上で以下のように投稿していた。
カノホモにはタイトルなんかよりよほど危ないポイントがあって、それが「当事者が読むとカムアウトしたくなる」ところなんですよね。僕は「世間」はともかく「人間」は割と信じていて、それが作品に出てる。でもそんなものは環境次第で普遍的に通用する話じゃない。
— 浅原ナオト@『カノホモ』発売中! (@asahara_naoT) April 12, 2018
ボクは「あぁ……やっぱりこの人は人間を信じてるんだ」と思いながら、自然とキーボードを叩いて返信のコメントを投稿した。「ボクも人間を信じてるんですよね」という気持ちを伝えたかった。
終業式のシーンを読んで、「あぁ……この作者は人間を信じてるな」って思いました。じゃないとあの展開は書けないです。僕も割と「人間」を信じています。終業式のシーンも現実にはありえない展開のように思えるのですが、だからと言ってありえないと簡単に諦めたくもないです。
— 神原 隆臣 (@taka_kanbara) April 13, 2018
ボクは人間が好きだ。「いい面」も「悪い面」も含めて人間が好きだ。
職場では1000人以上の同僚が働いてるけど、ボクが直接に関わった範囲で嫌いな人はいない。確かに、面倒くさい人も中にはいるけど、その人の面倒くさい面も含めて愛おしく感じてしまうから、「病気か何かじゃないだろうか?」と心配になることがある。
さっき「この人が好きと思うとすぐに口に出してしまう」、「口に出さなくても好きだというオーラが隠しきれずに、全開で出ている」と書いたけど、よくよく考えたら、相当に鬱陶した奴だと思う。
ただ、幸いにも「好き」オーラ全開で人に接したりしても嫌われた事はなかった。裏では色々と文句を言っているのかもしれないけれど、少なくともボクの気づく範囲で嫌いと意思表示してくる人はいなかった。「魚心あれば水心」と言う諺があるけど、そんな感じなんだろうと思う。
よくゲイブログを読んでいると「人と付き合うことが苦手」と書いているのを見かける。「そうそう。ボクも人と付き合うのは苦手だよ」と思いながら読んでいる。
でも「人と付き合うことが苦手」=「人が嫌い」という訳ではないと思う。
むしろ「人と付き合うことが苦手」、「人が嫌い」と悩む奥底に、「人と付き合いたい」、「人が好き」という思いが、さらに奥底で眠っているのかもしれない。だから「苦手」=「嫌い」と簡単に結び付けないで欲しい。このことをボクに気がつかせてくれたのは、社会人になって最初に好きになった男性だった。
それからは、「好きだ」という思いは隠さないと決めた。どんなにウザい思われても、気持ち悪いと思われても、もう「好きだ」という、自分の正直な思いは捨てないようにしようと思った。
そんな思いもあって、ボクは『カノホモ』の終業式のシーンを読みながら、現実世界では、絶対にありあえない展開だと思った。でも「ありえない展開」だと簡単に切り捨てたくなかった。
そうなんですよね。僕の思想はあそこに一番良く出ている。それで、あのシーンを含む小説がウェブで人気を博して書籍化に至り、あのシーン自体の評判もとても良いという事実が、一つ「人間」を信じてもいい根拠になるんじゃないかなと勝手に思っています。
— 浅原ナオト@『カノホモ』発売中! (@asahara_naoT) April 13, 2018
<つづく>