ゲイとしての居場所作り2018年夏(転編)

自分自身の人生を使って実験をしているんだけど、一つだけはっきりと「テーマ」にしていることがある。

そのテーマは、このサイトで何度も取り上げている『僕たちのカラフルな毎日』(著者:南和行+吉田昌史)に書かれている。

学生とかまだ若いうちは、パッと見た目でその場でときめいて、何度かデートして、場合によってはセックスして、それを「シアワセ」と思えるかもしれないけど、長いつきあいになるんだったら、見た目やセックス以外の「シアワセ」で関係を長続きさせなければならない。
育ってきた環境も違えば仕事も違う人と、ゲイということしか共通項がない関係で、ずっと「シアワセ」な関係を築くことができるだろうか。「短期的なセックスフレンドはできても、長期的に一緒に生きる人なんて、数少ないゲイの人の中に見つけられるわけない」という気持ちをずっとぼんやり持っていた。
だから、人生を共に生きる人との出会いについては漠然としたあきらめがあった。(P.21〜P.22参照) 

この文章の中に書かれた、

ゲイということしか共通項がない関係で、ずっと「シアワセ」な関係を築くことができるだろうか。

この疑問が、ボクの実験のテーマだったりする。そしてこの文章に対して、過去に以下のような文章を書いた。

たまたま出会ったゲイ同士が、『僕たちのカラフルな毎日』の著者のように、同じ地元で同じ高校出身というような偶然がそうそう起こる訳もなく、過去を共有するものがないのは仕方がない。じゃあ……これから徐々に時間を共有してお互いがどんな人間なのか、時間をかけて知っていくような場所が必要なんじゃないだろうか?と思う。別に恋愛関係にはならなくても、長期的に一緒に生きる人間関係が出来るのでは?と思う。ボクは新宿2丁目界隈の状況は知らないけど、少なくとも「地方」に住むゲイの人たちには、なかなかそんな場所が存在しないのではないだろうか?

まず前提として書くと、ボクは職場の人間関係に満足している。

仕事場に行くのが毎日楽しい。それなりに休日も楽しいけど一番楽しいのが平日だったりする。仕事をしていること自体が楽しい。職場の人間と雑談しているのも楽しい。仕事が終わって帰宅するのが残念に感じているし、正直に言ってアパートを引き払って職場に住んでもいいくらいだ。

まさに企業から見たら「社畜の鏡」のような存在だ。

ただ30代後半になって「果たしてこのままでいいのだろうか?」という思いは、ますます強くなっている。そんな中、ゲイである側面に向き合い始めて、このサイトに文章を書き始めて、地方に場所を作ることについて、いろいろ模索してきた。

そして趣味サークルのような多数の人が集まるのには興味がないことが分かった。結局、ボクは多数の人間と、広く浅く付き合うよりも、少数の人間と、狭く深く付き合う方が好きだった。その辺は、このサイトに書いた文章を読んでもらえれば分かると思う。

昔から、自分の性格については知っていたつもりだったけど、LGBTのイベントなどに顔を出してみて「やっぱり自分には向いてないや」と痛感した。どこかのグループの端の方にぶら下がっていて、適当に作り笑顔で対応していればいいのかもしれないけど、いづれストレスに感じて破綻するのは目に見えていた。

ただそうなってくると、自分自身の手の届く範囲に、自分の手で居場所を一から構築するしかなくて、この時点でどん詰まり状態になった。

ここまでが今年の4月の出来事。

それから「うーん」と悩む日々が5月上旬に東京から福岡に帰ってきても続いて、福岡市である方と会った。

ボクは福岡で最初に会えた人が、この人でよかったと思った。

そして以下の文章を書いた。

まだ、この文章に書いている「ゲイ以外の側面を自己紹介する」ということを実現できていない。今も「どうやって書くのがいいんだろう?」と悩んでいる。先日、小学校に入学したばかりにボコボコに殴らたことについて少し書いたけど「あんな感じの書き方でいいのか?」など悩みは尽きない。

6月から「ゲイ以外の側面を自己紹介する」を書くことができないまま悩んでいたけど、そもそもボクの過去を書き続けていくこと自体が「ゲイの側面を自己紹介する」ということにつながっているから、まだ片翼だけど全く自己紹介をしていない訳ではないと開き直ることにした。

この時、なんで自己紹介をしようと思ったのかというと、

ゲイということしか共通項がない関係で、ずっと「シアワセ」な関係を築くことができるだろうか。

というテーマに対する実験は、この時から始まっていたからだ。明確に実験してみようと決めて文章を書き始めたのは、この文章を書いた2018年5月24日からだった。

<つづく>