幸せについて思うこと<6>

第29話『おじいちゃんからの贈り物』の主な登場人物は、孫の『まこと』。祖母の『カツ代』。祖父の『吉岡』の3名だ。

この祖父の吉岡は病院の院長で、ずっと仕事一筋で独身だったのだが、晩年になってカツ代に惚れ込み結婚した。カツ代の方は結婚していたが、若い頃に夫を亡くして、そのまま独身で苦労して働きながら息子と娘を育て上げた。祖父の吉岡は結婚と同時に孫が二人(まこと・みゆき)もできた。ずっと一人で生きてきたこともあって、いきなり出来た二人の孫を溺愛している。

物語の序盤で、まことの友達が釣り道具屋に行っている時に、祖父の吉岡が釣り竿を買っているのを見かける。店員から尋ねられた吉岡は、本当は妻のカツ代と一緒に釣りに行くために釣り竿を買おうとしているのだけれど、店員に間違われてのもきっかけとなって恥ずかしくて「孫のために買う」と嘘をつく。その言葉をまことの友達は聞いて、まこと本人に告げてしまう。

それから、まことは友達を経由して「祖父が孫の自分のために釣り竿を買ってくれた」と勘違いする。祖父の吉岡から釣り竿を贈ってもらえる日を期待して待っている。しかし、いつになっても釣り竿はもらえない。

もともと「孫のまことへの贈り物」ではなく「妻のカツ代への贈り物」だったからなのだが、そんな事実をまことは知らない。

吉岡は嫌がるカツ代を説得して、なんとか釣りに連れて行くことに成功する。カツ代も最初は嫌がっていたが、意外なことに彼女は徐々に釣りに夢中になっていた。ちなみにカツ代は、この回がきっかけで釣りが趣味となる。彼女は釣りに夢中になってしまい波が高くなって来たにも関わらず止めることなく続けて、高波に合って腰を痛めて入院することになる。

それから入院した祖母のカツ代のお見舞いで、息子家族が揃って病院に来る。吉岡から怪我に至るまでの経緯を聞く中、まことは吉岡が本当はカツ代と一緒に釣りに行きたくて、釣り竿を買ったという事実を知る。

「孫のまことへの贈り物」ではなく「妻のカツ代への贈り物」のために釣り竿を買ったのだと、ようやく事実を知ることになる。

その事実を知った時、まことは祖父母の言い合いを眺めながら一瞬だけ微笑む。

まことの心中は、自分が釣り竿をもらえなかったのは残念だけど、祖父が祖母と一緒に釣りをしたいがために釣り竿を買ったという、祖父の優しさの一面を知ることができて嬉しかったのだ。

この後、さらに息子の会社の同僚がカツ代の見舞いに来て「孫のまことが釣り竿をもらえると思っていた」という事実を知ることになる。吉岡としては、まさか恥ずかしくて孫のために釣り竿を買うと言ってしまったこと原因で、こんな事態になっているとは知らなかった。この場面に関しては絵で描写はされてないけど、最後のナレーションで明らかになる。

さらに数日後、息子の家族は揃って病院に見舞いに来る。

今度は、病院食が気に入らないカツ代のために弁当を持参してくる。長年、病院の食事を作る賄い婦をしていたプロの彼女は、入院先の病院が出す食事に満足できずに飽き飽きしていた。ここで祖父の吉岡は弁当箱を見て「カツ代さんの好物ばかりだ」と気がついている。

カツ代は料理の上手な息子が弁当を作って持って来てくれることを内心では期待していた。

でも弁当箱を開いて、隣のベッドの女性が息子が作って持ってきた弁当を褒めたことがきっかけとなって、彼女は本心を表に出さず息子の作って来た弁当のおかずに対して次々と文句をつけ始める。

素直に嬉しいことを表に出せないカツ代は弁当のおかずに対する文句を言い続ける。

彼女が息子の料理にケチをつけるのは毎回のことだった。

それには事情がある。早くに夫を亡くした彼女は、ひとり親で幼い息子と娘を養っていかなくてはならなかった。それで病院の賄い婦となって一生懸命働いた。ただ仕事をしながら特に幼かった娘の面倒を見るのは難しく、気がつくと息子に頼ってしまっていた。息子は料理を覚えて娘の面倒を見てくれるようになった。彼女は息子が娘の面倒を見るということを申し訳なく思っていた。遊びたいざかりの息子の時間を犠牲にして、息子の料理の腕がうまくなればなるほどに、彼女は息子に甘えてしまっている自分のことが許せなくなっていた。そんな屈折した感情が原因で、息子の作った料理を美味しいと思いつつも「まぁまぁたい」としか言えず、素直に褒めることができなくなっていた。ただ息子の方も、大人になって当時の母親の気持ちが分かるようになっていて、息子と母親の間には、特にわだかまりもない。もともと親子揃って、素直じゃない性格をしており、お互いの気持ちは言葉にしなくても理解し合っている。

カツ代はせっかく息子に作ってもらった弁当に対してケチをつける中、

「特にこの『白あえ』は駄目たい!食えたもんじゃなかよ!」

と激しく言い放つ。

実際にアニメの絵も他のおかずに比べて『白あえ』だけは少しだけ崩れた感じで描いている。

そのカツ代の言葉を受けて、

「ごめんね。その『白あえ』は僕が作ったんだ」

と、孫のまことが口を開く。

「まことだったすかい……」

いつものように息子が作った料理だと思ってキツく言ってしまった手前、カツ代はうまく取り繕うことができなかった。吉岡は少し不安そうな顔をして二人を見ている。

「おばあちゃんが『白あえ』が大好きだったから、父ちゃんに習って作ってみたんだけど、やっぱり一回じゃ駄目だったね。また父ちゃんと作り直してくるよ。今度はもっと上手に作るからね」

と言って、まことは申し訳なさそうに弁当をカツ代から取り返そうとする、そのまことの手を避けて、カツ代は弁当箱を閉じてベッドの脇の棚の上に置く。そして布団をかぶって顔を隠してしまう。

息子家族が部屋から出て行った後、数秒ほど布団をかぶって顔も見えないままの彼女の姿が意味深に映し出される。

息子家族が帰って行くと

「あんた。ちょっと寝るからカーテンば閉めちゃり」

と、夫に言ってカーテンを閉めさせる。吉岡は彼女の意を組んで「それじゃあ。ごゆっくり」と言ってカーテン閉める。

カーテンが閉まると、彼女は起き上がって棚の置いた弁当を手にとって蓋を開ける。

そして息子と孫が作った弁当を食べ始める。

「うまかばい……」

と言って、彼女は一人ベッドの上で、孫が自分のために作ってくれた『白あえ』を泣きながら食べている。

祖父の吉岡はベッドのカーテンを開けない。嬉しそうな顔をしてベットの側の椅子に座って本を読んでいる。息子家族が見舞いに来てくれたことが嬉しかったのだ。そして勿論カーテンの向こうで、カツ代が弁当を泣きながら食べているのに気がついている。

数日後、まこととみゆきが人の気配を感じて自宅の玄関の扉を開けると、扉の脇には、先日に吉岡が買った釣り竿が立ててある。

素直に面と向かって、孫に『白あえ』のお礼を言えないカツ代は、何も言わずに、そっと玄関の脇に釣り竿を置いて去っている。夫の吉岡もそんなカツ代の気持ちを汲んで、孫に声をかけずに一緒に去っている。

おじいちゃんからの「妻のカツ代への贈り物」は「孫のまことへの贈り物」となる。これがタイトルの『おじいちゃんの贈り物』になる。

まことが慌てて通りに出たときには、二人の姿は既にない。

ただ二人が遠ざかっていくシーンが流れる。

そんな二人の思いを受け取った、まことのナレーションが流れ来る。「僕にはとても口が悪いおばあちゃんと、とてものんびりしたおじいちゃんがいます。全然似てないけど、とても優しいおじいちゃんとおばあちゃんです」と言って、話が終わる。

もうかれこれ、20年どころか30年近く前に見たのにかなり正確に話の流れを覚えている。

この話は人への思いやりに溢れている。吉岡のカツ代への思いやり。カツ代の吉岡への思いやり、息子からの祖父母への思いやり。孫からの祖父母への思いやり。祖父母から孫への思いやり。そして父の会社の同僚のまことへの思いやり(描かれていないけど釣竿を欲しがっていることを祖父母に教えてあげている。この同僚はまことを弟のように可愛がっていて、まことも兄のように慕っている)。

どこにでもありそうな日常生活を描いていて、人が人を思うやる気持ちが、当たり前のように、あっさりと描かれている素敵な回だった。

<つづく>