ゲイとしての居場所作り2018年秋<9>

文章を書いていて面白いと思うことがある。

過去に自分が書いた文章を読み返すのは、必要がない限り滅多にしないのだけれど、もう一回、同じ過去の出来事を書いたとしても、全く違う文章になるんだろうなと思う。それは自分の文章を書く能力が上がったとかいう面だけに留まらない。

例えば別々の人が同じ物を見たり、同じ出来事に遭遇して、同時に並んで文章に書いたとしても、その人の感情だったり、過去の経験だったり、いろんな要素によって書く文章は違ってくる。例え同じ人が文章を書いても、一日。数時間。数分。違うだけで、全く別の文章を書いてしまうこともありえる。

ボクが文章を書き続ける理由の一つに、そのあやふやさが面白かったりする。

これは文章を書くというだけでなく、文章を読み側にも同じことが言えるのかもしれない。文章を読む側だって、同じ文章を読んでも抱く感想は日々変化している。

きっと今書いているこの文章も、明日書けば全く別の文章になっていることもありえる。

それは文章に限らず、絵を描くなど芸術面の全般に言えることなのかもしれない。ボクが画集を見たり、美術館の展覧会に行くのが好きなのは、この辺に理由がある。

ボクは「理系」と「文系」とで区別するのなら確実に「文系」だ。

以前、数学が好きな人と話してると「数学は答えが一つなのが面白い」と言っているのを聞いた。ボクはその言葉を聞いた瞬間に「答えが一つなら数学が好きな人や得意な人が解いてくれればいいや」と思った。「別に嫌いで苦手な自分が解く必要はないな」と思った。

どこかの名探偵が「真実はいつも一つ」とか言っているけど「答え」や「真実」が一つなんてつまらないと思ってしまう考え方をしている。

さっき合理的な考え方をしてしまうとか書いておいて、この辺は非合理的な面が好きだったりと、いや合理的な考え方をしてしまう傾向が強いから、非合理的な面が好きで、考え方や生き方をしている人が好きなのかもしれない。ボクがマイペースな人。ちゃんと自分の世界を構築している人が好きな側面には、この辺の自分にない憧れのようなものあるように思う。

ブログを書き初めて2年間。

その間、何人ものがゲイブログを書き始めて、途中で書くのをやめてしまった。ずっと書きつづている人もいる。それぞれ皆がどんな目的で文章を書き始めたのかは知らない。以前も書いたけど、文章を書き始めた人が目的地まで、ちゃんとたどり着いて欲しい。

2年間書き続けて感じたのだけれど、「文章を書くこと」と「文章を書き続けること」は、全く別の「力」が必要だと思う。

文章を書く目的なんて、数か月単位で変わってくるし、短ければ数週間単位。もっと短ければ数日単位で変わってくる。その時々で迷いながら、自分なりに書く意欲を維持して、書く目的を見つけ出していくしかない。ちなみにボクは現在、書く目的を見失っていたりする。

文章を書くのに別にブログという形態にこだわる必要はないと思っている。はっきり言ってインターネットの世界は雑音が多くて、文章を書くモチベーションを維持するのも大変だったりする。その辺がストレスに感じるのなら距離を置いた方がいいと思う。ボクだってあえて距離を置くためにSNSの共有ボタンを排除している側面がある。

ちょっと話が逸れるけど、例えば暗い辛い過去を持つ人がいたとする。

ボクはその人が書いた文章を読んでみたい。

よく暗闇の中でこそ明るい光は目立つなんて聞くけど、その通りだと思っていて、だからこそ暗く辛い過去を持っている人の文章を読んでみたい。そして誰かを傷つける言葉じゃなくて、誰かを救う言葉を読ませてほしい。ボクに明るい光を見せてほしい。

それがフィクションでもノンフィクションでも構わない。

自分勝手なのは承知してるけど、誰でもいいからそんな言葉を書いてほしいと思いながら文章を読んでいる。いつかそんな言葉を出会いたいから文章を読んでいる。

文章を書いていると同じテーマで書いていても、日々刻々と書く内容は変化している。そういった目には見えない日々刻々と変化する感情。一瞬で消えてしまうような光を言葉にしてくれる誰かを探している。

今まで自分の「よすが」になるような言葉に出会ってきた。

気になった言葉は誰が書いた文章なのかも含めてノートにメモしている。

これからもゲイとして生きていくための「よすが」になるような言葉と出会いたい。

<つづく>