カミングアウトした過去と他人との距離感<2>

もともと小学時代から他人行儀な話し方をする傾向はあった。


それでも小学時代以降に比べればマシなほうだった。どこか小学時代も他人行儀で大人じみた話し方をしていたけれど、それがエスカレートしたのは中学時代にカミングアウトしてからだった。


ボクはカミングアウトしてから徐々に人間が嫌いになっていった。


ボクが中学時代にあっさりとカミングアウトしてしまったのも人間を信用していたからだ。人の善意の部分しか見ていなかった。人の悪意といったものに関して無頓着だった。中学時代にカミングアウトしてから「キモイ」だの「死ね」だの、そういった言葉を投げつけられる度に、平気な振りしつつも、心のどこかで身を守るために壁を築き始めていた。その壁がどこか距離を置いて他人と話すという形になって表れてきた。ただ悪いのは子供じみた考え方をしていた自分の方だと思っていた。同級生からは「冷静な話し方をする」と言われていたけど、ボクは愛想笑いをしながら内心で「冷静じゃなくて自分を守るためにやっているだけだ」と思っていた。


そんな感じで他人との間に壁を築いているうちに、気が付くと人間が嫌いになっていた。


周囲の人間との仲は悪いわけじゃない。むしろ良好だったけれど、それでも人間が嫌いになっていた。その中でも特に人間という集団が嫌いになっていた。


それからボクは個々の人間の中で「この人は信用できる」という人を見つけては、狭く深く付き合うようになっていった。ただ信用できると思っている人に対してさえ、どこか距離を置いて接するようになっていった。高校時代になってからは、まだ他人から嫌われることが怖かった。独りになるのが怖くて、ホモキャラを演じたりしていた。まだ人間の集団から外れるのが怖かった。ただ、それもある日限界が来て破綻してしまった。それから開き直って高校時代の後半くらいから他人から嫌われることも気にしなくなった。集団から外れてしまっても気にしなくなっていった。


高校三年生の頃、曾祖母の葬式で父方の実家に帰省している時のことだった。大人たちは葬式の準備で忙しく、ボクは暇を持て余していて、いつもは見ない日曜日の朝方のアニメをなんとなく見ていた。そのアニメの中でパソコンオタクの小学三年生の子供が出ていた。ちょうどその登場人物がメインの回だった。アニメを見ながら「小学生の低学年の割に、やけに他人行儀な話し方をしている」と思って、「どこかボクと似た話し方をしている」と思っていた。その登場人物は物心がつく前に両親を交通事故で亡くしていた。そして子供がいない親戚の家に引き取られて、ちゃんと両親の愛情を受けながら育てられていた。そんな中、夜に廊下を歩いている時に両親の話を立ち聞きして真実を知ってショックを受けてしまう。それから両親を愛しながらも、どこか他人行儀な話し方をして接するようになって、ついでにパソコンにはまっていく。その登場人物の他人と深く関わるのが苦手で他人と距離を取るために話し方でサインを出している面が、ボクと似ていて共感してしまった。


ボクの他人行儀な話し方も「これ以上は立ち入って欲しくない」というサインだ。


でも意図して身に着けていった訳じゃない。中学生から年齢が上がるにつれて、自分がゲイであることを見せたくないし、隠したいという思いが強くなっていった。そして同級生だけでなく、どこか両親に対しても他人行儀な話し方をするようになっていった。ほとんど無意識のうちに身に着けていったボクなりの処世術だった。


<つづく>