カミングアウトした過去と他人との距離感<3>

高校を卒業して大学生になってから、ボクはゲイであることを完全に隠すようになった。


それと同時に「こましゃくれた話し方」「他人行儀な話し方」は最盛期を迎えた。


大学生になった当初、ボクはゲイの側面を隠すようになって戸惑っていた。


どうやって人と付き合えばいいのか分からなかったからだ。


それまでは「神原はゲイらしい」という噂を聞いて、相手が勝手にボクに対して興味を持って話しかけてくれた。ボクとしても相手の質問にいつも同じ回答をして、ついでにホモキャラを演じていれば人間関係が成り立っていたので楽だった。


ただ大学時代になってからゲイいう側面を隠すようになったので、自分のゲイの側面以外を使って一から人間関係を築く必要性が出てきた。ついでに常に他人行儀な話し方ばかりしていたので、なかなか人間関係が築けなかった。それも考えて見れば当然のことで、他人行儀な感じで距離を取って会話するような同級生は、誰だって鬱陶しいと感じるだろう。


ボクの人生の中で始めて「孤独」というものを感じた時期だった。


見知らぬ土地で、見知らぬ人たちと一から関係を築くのに苦労していた。


ただ時間の流れとともに、一定の距離を置いたままでも人間関係を築く術を徐々に学んでいった。


いや、正確に言うと学んでいったという訳じゃない。


ただ単にボクと似たような人たちを見つけたのだ。


人は生きている限りずっと一人。


そんな似たような考えを持って生きている人たちを見つけたのだ。


孤独を受けて入れている人たち。


一人で生きていくという覚悟を持って生きている人たち。


ただ一人でいるだけなく、それと向き合って生きている人たち。


そういった人たちは、ボクの方から距離を取らなくても相手の方からも自然に距離を取ってくれた。そのうち出会ってから会話していると自分と似たような考えや境遇の人を感じられるようになった。よくよく思い返せば高校時代に仲が良かった同級生も似たような雰囲気や眼差しを持っていた。


例えば過去に書いた文章の中で、大学時代に仲良くしていた「片原さん」という女性がいる。


彼女にしてもボクに話すことができない「暗い過去」を抱えているのを感じていた。でもボクの方にも同じように絶対に触れて欲しくない過去があったので、それを根掘り葉掘り問いただしたことは一度もなかった。


「これ以上はボクの中に立ち入らないで欲しい」

「これ以上は私の中に立ち入らないで欲しい」


ボクらの間では、そんな思いが「暗黙の了解」として成立していた。


ボクは似たような境遇の人たちがいることを知って一人でいても平気になった。一人で生きているけど、他にも同じように一人で生きている人がいることを知って、孤独というものを受け入れることができるようになっていった。


ついでに、大学時代と高校時代の違いで「教室」という枠組みが消えたというメリットがあった。自分で付き合う相手を自由に選べたのは大きかった。ある個人・集団が嫌だと感じていれば、自分で好きなように距離を取ればよかった。その自由に選ぶことができるということに最初は戸惑っていた。ただ徐々にだけど、自分で好きなように動けるというメリットを感じるようになった。別に同じゼミやサークルに所属しているからと言って無理に付き合わなくていい環境が心地よかった。


事実、ボクは大学時代の中盤からほとんど「集団」に属することはなくなった。自分にとって興味がある「個人」と自由に関係を築くようになった。


この時期、ボクは「本当に仲良くなれる人は100人いても1人くらいの割合でしかいない」と思うようになっていて、その考えは社会人になった今でも頭の中に強く残っている。


<つづく>