自分が死ぬことへの心境の変化<下>

ボクは何かに直面して、自分が正しく判断できると思うことに対しては自信を持って選択するし、正しいか自信を持って判断が付かない場合は、あれこれ斜めに構えて考えるより、さっさとどちらを選んで馬鹿正直に飛び込んでしまった方がいいと思っている。


ボクにとっては同性の誰かと付き合うのは初めてだし、そんな風に考えて開きなって馬鹿正直に彼と付き合っている。


今はまだ死ぬわけにはいかない。


そう思うようになると、歩道を歩いていて年配の人が運転する車に注意するようになった。信号が青色で横断歩道を渡っている最中に、年配の人が運転する車が突っ込んでくる場面に何度か遭遇してヒヤリとした。そんなこともあって道を歩いている時に限らず、以前よりも周囲に注意を払うようになった。それに見知らぬ人と出会う時も、なるべく失礼がないように注意を払うようなった。


そうは言っても、やっぱり避けようのない不慮の事故のような死は起こりうる。


最近、そうなった場合を考慮して何か手を打っておいた方がいいかもしれないと考えている。


それで「ボクが死んでもし部屋の鍵を持っている人が現れたら、その人が言うことは事実です」と言うような、何か遺書のような手紙を両親に残しておくべきかもしれないと考えるようになった。


彼には実家の住所は伝えている。それに家の鍵も渡している。ボクに何かあって彼が「両親に会いたい」と思った時のために何か残して置きたいと思った。恐らくボクの両親や兄貴なら、彼の言うことを信じてくれるとは思うけど念には念を入れておきたいと考えるようになった。


そうしたほうがボクに何かあったときに彼の糸のもつれが少なくて済むはずだ。


両親には通帳や印鑑などを保管している場所は知らせているので、もしボクに何かあったら、その場所を真っ先に探すだろう。そして置き手紙にも気が付くだろう。ボクは親元から離れて自立しているから生きている状態で日常的にはカミングアウトしてもメリットはない。どこまで書くべきか迷うけど、そういった遺書のような手紙のようなものを残して置くべきじゃないだろうかと真剣に考えるようになった。


まさか自分のことながら、自分が死んだ後のことを考えて、遺書のようなものを書くことを考えたり、今はまだ死ねないと思ったりしたのは意外だった。


ただ、こういった心境の変化も含めて、斜めに構えて考えるよりも、真っすぐに馬鹿正直に考えていて「こうしたほうがいいんじゃないだろうか?」と思ったことは手を打っておきたいと考えている。


<終わり>