ライナーノーツ<12>~同性愛者として生きる決意~

「初めて好きになった同性が彼でよかった」

中学時代に同性のN君を好きになってから、恋愛をしなかった大学時代を除いて、高校時代、社会人時代と好きになった同級生や同期に告白しても拒絶されることがなかった。皆友達として以前と変わらずに接してくれた。はっきりと意識していないけど、そのことでボクはかなり救われているはずだ。

ただボクは彼らに対して「申し訳ないことをした」と思っている。

それは周囲の人たちから「ホモから好かれた」という汚名を着せられてしまったからだ。本来なら、彼らは平和な日々を過ごしているはずだったのに、ボクのせいで生活を乱してしまった。ただ、それでも彼らは嫌な顔をせずに周囲の冷やかしを無視して平然と話しかけてくれた。

彼らが何を考えているのか分からない。

でも彼らと話していて一つ重要なことに気が付いた。

自分の世界をきちんと構築できている人は、多様性に対して寛容な人が多いということだ。

彼らは自分自身のアイデンティティが確立していて「ボクはあなたのことが好きです」と言っても「そうなんだ。君はゲイなんだね。ボクはゲイじゃないけど君がゲイであることを受け入れるよ」と無言で語ってくれていた。

恐らく、自分の構築している世界に対して自信があるのだと思う。それで他人が自分の世界をオープンにしても自分の世界が侵食されるという恐怖感を抱く必要がないのだと思う。動じることもなく「他人は他人。自分は自分」と淡々としていた。

N君は、このことに気が付かれてくれた最初の一人目だ。

ところで、このN君だけど中学時代から「同性」にはモテるのに、「異性」にはまるでモテない人だった。今は東京の大手の企業に勤めていて収入も安定していて外見も悪くはないのに未だに独身だったりする。「周囲に見る目がない人が多いのか?」とか「彼も本当はゲイだったのか?」と気になってしまう。「自分の世界を築き過ぎてしまうのも考えだな」と、彼の噂を聞きながら苦笑いしてしまう。

過去に出会った人たちを見ていても、ボクが好きなる人は、ちゃんと自分の世界を独りで構築している人ばかりだった。誰かと相対化して自分の世界を見つけるのではなく、自分一人で自分の世界を構築できる人ばかりだった。

誰かと群れることもなく、かといって孤立するわけでもなく、ただ一人でいても平然としていた。

多分、ボクが好きな人にカミングアウトしても告白しても拒絶されることなく受け入れてもらえたのは、そういった人たちを選んで好きになっていたからだと思う。ボクはそういった強さを持つ人にずっと憧れていた。

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