おのぼり二人紀行<2>

関東に旅行に行くと決めてから、彼から「ここに行きたい」とか「この店に行きたい」といった情報が次々と送られてきた。実際にどこに行ったのかは徐々に書いていくけど、彼は「行きたい場所が沢山ありすぎて悩む!」と言って苦しんでいた。僕は「あまり無理して詰め込まなくても、また次に関東に行く機会は絶対にあるからね」と言った。

 

「また次に機会がある」

 

そんなことを思えるのが少し嬉しかったりする。

 

飛行機や宿の手配は彼がしてくれた。彼は旅行に慣れていて、その辺は僕の方が不慣れだ。そういった手配は全面的に甘えている。なるべく安い料金で済むような宿泊先や移動手段を、スマホを片手にアプリや、どこかのサイトを使ってあっという間に調べてくれるので傍で見ていて感心してしまう。彼はパソコンなどの機械の扱いは不慣れだと言っているけど、年配の女性でも炊飯器や電子レンジなどの家電機能をうまく使いこなしている人がいるように、関心があったり、必要性を迫られたりすると、人はなんでもできるものだなと思ってしまう。

 

そんな彼と会話しながら感心していると、彼から「そっちはどこか行きたい場所はないの?」と質問が来た。

 

僕が関東で行きたい場所は一つあった。

 

その場所について仕事中の合間に調べていて、夜になってから彼に相談しようと思っていた矢先、彼の方から「◯◯に行きたい」という話が偶然に出てきて重なってしまった。そもそも僕は「ここに行きたい」とか「これが欲しい」といった願望があまりないのかもしれない。

 

僕が行きたい場所があるとすれば、それは『水俣』かもしれない。

 

熊本の水俣市。

 

僕は最近になって水俣病に関する本やドキュメンタリー映像をよく見ている。それまでの水俣病に関する知識は、教科書で公害病の一つのとして名前を知っているくらいで、たまにテレビに映し出された患者の様態を見たことがあるくらいだった。そもそも水俣病に関して興味を持つきっかけは石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んでからで、そこからなぜか水俣病に興味を持つようになった。

 

なんで今更になって興味を持つのか不思議に思われるかもしれない。僕も最初は興味を持つようになった理由が分からなかった。ただ、最近になってようやく理由が分かってきた。

 

僕は『水俣病』と『LGBT』の問題を重ねて見ている。

 

もちろん『水俣病』の問題と、『LGBT』の問題が同レベルだとは考えていない。比べ物にならないくらい水俣病の方が根深い。

 

ただ関わっている人たちを見ていると、どこか今も見ているような人たち、見たような人たちの姿と重なってしまう。水俣病の患者の中も様々な立ち位置に分かれている。水俣病であることを公にしている人。差別を恐れて水俣病であることを隠して生きている人。生まれながらにして水俣病を患った胎児性患者。右翼的な立場に立つ人たち。左翼的な立場に立つ人たち。患者。患者家族の中でも、それぞれの立ち位置があって互いに協力したり争ったりしている。国や県の関係者。チッソ工場の企業の経営者。地元民でありながらチッソ工場に働いている人たち。他にも水俣病に対して、医療の立場から関わっていく人。ジャーナリストや作家の立場から関わっていく人。映像の立場から関わっていく人。そして水俣病によって分断されてしまった人間関係を直そうとする人たち。「もやい直し」という言葉。

 

そんな人たちの姿を頭に浮かべながら資料を読んでいると、こういった社会問題に対して、自分がどういう風に向き合って、どういった立ち位置でいるべきかを考えさせられる。

 

それにLGBTとは別の側面で、最近になって起こっている問題とも関係しているような気がする。自然と寄り添いながら人間が暮らしていた『古代』に近い水俣という場所。その水俣に『近代』が接してきた時に何が起こったのか? 別の面でも原発事故や先日起こった連続殺傷事件などにも、どこか水俣病との繋がりがあるように感じている。

 

水俣には行かなかったけど今年になって彼と一緒に2泊3日の熊本旅行をしている。それにしても水俣を観光するにしても2日もあれば十分すぎるくらいだと思う。今回は5日間もあるので勿体ないような気がして行くつもりはなかった。同じ九州だしいつか行く機会はあるだろう。

 

話を戻す。

 

それからあっという間に旅行の日が近づいてきた。

 

僕はある理由があって日が近づくにつれて緊張感が増してきた。

 

<つづく>