おのぼり二人紀行<29>

「あの子は油断ならないのよ」

 

彼の素の反応に面食らったのか、声をかけた客はそそくさと店から出て行った。その後、その客が出て行ってからのマスターの言葉が面白かった。どうやら他の客人にも気軽に声をかけているみたいだった。ちなみに後日、彼に声をかけられた時の心境を質問したのだけれど「いきなり言われて怖かった」と言っていた。

 

僕たちは席に座ってドリンクを注文した。僕の右に彼が座って、そのさらに右隣には30代後半くらいの客が1名。僕の左には酔っぱらい状態の30代の客と20代の若い客が2名座っていた。店の中は合計5人のお客とマスターが1人だった。

 

僕たちは席に着いてから少しの間、二人だけで会話していたのだけれど、20代の客から「もしかして二人は付き合っているんですか?」といきなり質問された。どう答えたらいいのか迷って、とりあえず頷くと「やっぱり」と言われた。

 

同じゲイの人から見れば、僕らも一応カップルらしく見えるみたいなので少しだけ安心することができた。

 

そもそもの心配の原因は、年上の僕が年下の彼に話すときに、丁寧語で話している件だったりする。一緒にいる時間が長くなるにつれて、ぎこちない感じが少しずつは崩れてきているけど、それでも丁寧語は完全に抜けきれない。九州の観光地に行った時に、店員さんから「大学の教授」と「学生」の関係に間違われたこともあった。

 

その後、僕たちは福岡から旅行で来たことを説明して、観光のついでに外国人が経営している料理店を中心に食べ歩いていることを話すると海外料理が話題の中心になった。

 

幸運だったのが彼の隣に座っている客が、僕たちと少し似た雰囲気を持っていたことだった。彼とも話が合うようで、二人で仲良く話をしていた。ただ、僕の左隣の2名の客に関しては、最初のうちは料理の話題についてきたのだけれど、あまり興味がなかったみたいですぐに飽きたようだ。そんな雰囲気をマスターはすぐに察して二人に対して別の話題を振っていた。

 

ちなみの僕はと言うと5人のお客の真ん中に座って、全員の様子を観察して楽しんでいた。そんな僕の考えをマスターは鋭く見抜いているように感じた。僕は集団の中に入って行くのが好きではない。どちらかと言うと集団の端っこに座っている方が好きだ。でも集団の端っこに座っているけど、話し合いをしている当人達よりも誰よりも真剣に話を聞いていたりする。集団の中心には中心のポジションの役割が、端っこには端っこの役割があると思っている。

 

30分くらい経った。

 

新しい客が1名ほど入ってきて僕の左の席に座った。

 

その客は僕たちと同じように野郎フェスに行った帰りらしく、カバンに同人誌を山ほど詰め込んでいた。

 

その場の話題は野郎フェスに変わった。

 

彼の方を見ると会話するのに少し疲れた様子だった。僕と違って彼は人に合わせようと無理してしまう性格をしているので「そろそろ帰った方がよさそうかな」と思っていると、さらに2人ほど新しい客が入ってきた。男性と女性のノンケの客みたいだった。僕はこのタイミングを逃さず、彼に「そろそろ出よう」と言った。それからマスターに声をかけて勘定を済ませてから店を出た。

 

これが僕たちにとって人生初めてのゲイバーだった。

 

僕たちは「あの店ならまた行ってもいいね」と言って新宿2丁目を歩いていた。

 

その後は東新宿駅まで歩いて電車を乗って宿まで帰った。

 

その日の夜も彼のいびきに起こされた。

 

一応書いておくけど、彼もそんなに毎日毎日いびきをかいて寝ている訳ではない。恐らく旅行で疲れているだけだと思う。彼のいびきの轟音を聞きながら、僕はまた布団の上でクスクス笑っていた。前日と同じようにしばらくすると鳴り止んだので、僕も朝までぐっすり寝ることができた。

 

<つづく>