ゲイとして生きる君へ

中学時代に同性愛に目覚めカミングアウトしてました。過去や現在のことを綴っています。毎日更新中@福岡

絶対に会えてよかった<15>

前日の夜。ボクは教科書が一冊足りないことに気がついた。いつも宿題は忘れないように細心の注意を払っていて、絶対に机の中に忘れていないという確信もあって、本当に教科書を紛失したのかと思った。

このままだと宿題ができない。宿題ができないと殴られる。

と思って、次の日の朝「体調が悪い」と言って学校を休もうとした。母親は熱を測って問題がないことを確認すると、頑張って学校に行くように言った。

宿題を忘れたと言ったら殴られるだろうな。

と、予測して重い足取りで教室に入った。教科書を紛失したと言っても殴られそうだった。引き出しを開けて確認しても、やっぱり教科書はなかった。その後、教科書がなかった理由はすぐに判明して、隣の席のクラスメイトが間違ってボクの教科書を持って帰ってしまっていた。

でもどんなに正当な理由があろうと、その教師が聞く耳を持ってくれないのは、クラスメイトの全員が知っていた。1限目の授業には提出しなくてはならず、今更教科書を返してもらっても対応のしようもなかった。

教師に宿題を忘れたことを告げると、予測に反して軽く注意されただけで終わった。それで終わりだと思ってほっとしていた。

放課後に終礼が終わると「神原だけは残るように」と教師が告げた。

その時、さっきまでと表情が一変していた。

あぁ……ボクは殴られるんだ。

あぁ……神原は殴られるんだ。

と、全員が状況を察した。クラスメイトたちは足早に教室から出ていった。

ボクは席に座ることもできなくて、ただ呆然と自席に立っていた。教室の中に誰もいなくなってから、教師はボクの席にツカツカと歩み寄ってきた。

そして、いきなり腹をグーで殴った。これが本気で痛くて教室の床に膝をついて、息ができなくて「ぜぇぜぇ」と苦しんだ。教師は机の上に腰をかけて「早く立て」と絶叫していた。椅子や机を支えにして立ち上がると、今度は腹を蹴られて教室に壁に叩きつけられた。壁にかけてある体操服の袋がクッションになってくれて助かった。教師は相変わらず「早く立て」と絶叫していた。やっとのことで立ち上がって教師の下までフラフラと歩いていくと、ボクの顔を思いっきりビンタした。特に鼻を中心にビンタしたようで、叩かれてから耳がキーンと響いた。気がつくと鼻血がボタボタと服に流れ落ちていた。

鼻を殴られるのって腹を殴られるより痛くないもんなんだな……

と、冷静に考えていた。その後、数時間に渡って何度も腹を殴られたり、体ごと教室の壁に押し付けて怒号を浴びせられたりした。髪を掴んで強引に頭を振りまわされた。どこかの格闘技系の漫画の戦闘シーンのような文章を書いてるけど、これはあくまで普通の小学校の教室で起こった出来事だ。ボクは泣き叫んで許しを請いながら暴力が終わるのを、ただ待ち続けた。

彼らは……こんな痛みを毎日味わってたのか……

ボクが教師から殴られたのは、この一度きりだったけど他のクラスメイトが殴られる姿を毎日のように見ていた。クラスでは既に何人か登校拒否をしていて、親たちは不審に思いつつも、登校拒否している生徒側の方に何か問題があったんだろうと思っていた。

ランドセルが体に投げつけられて中身が飛び散った。

その後、鞭の代わりにランドセルを何度も体に叩きつけられた。金具の部分が体に当たるとめちゃくちゃ痛かった。ボクは泣きながら床に散らかったものを広い集めたけど、手に持った教科書やノートをひったくられて体に投げつけられた。国語の教科書についた自分の血は取れなくて、学年が上がって教科書を捨てるまで目についた。

教師に命じられて、廊下の手洗い場で顔や服についた血を洗い落としていた。

いつまで殴るのが続くんだろう……

その日、血を洗い流すのは三度目だった。教室の窓やドアは開け放たれたままで、教師は逃げないように、ボクのことを監視していた。鼻から流れた血が口の中に入ってサビ臭い味が口の中に広がっていた。

その時、階段を降りてくる足音が聞こえた。

「あれっ。神原くん。まだ残ってるの?」と声が聞こえたので振り返ると、近所に住む二歳年上の先輩が立っていた。

そして鼻からドボドボと血が流れている姿を見て「大丈夫なの?」と心配そうに声をかけてきた。ボクは「近寄らない方がいい」と喚起をする意味を込めて、視線を教室に移した。その先輩はボクの視線を辿っていき、机の上に腰掛けてボクらの姿を凝視している教師の存在に気がついた。その教師がヤバいのは生徒の間では、当然に広まっていたから、彼は一瞬で状況を把握した。

「誰にも言わないでください」

と、先輩に小声で言った。先輩は気まずそうに頷いて去っていった。後になって考えてみると「助けてください」とか、もっと別の言葉があったように思う。

血を洗い落として教室に戻ると、さっきまでと打って変わったように教師の機嫌が良くなっていた。今まで4時間近く殴り続けたことを全く忘れたかのように、笑いながら声をかけてきて冗談まで言い始めた。たまたま通りかかった先輩に目撃されてしまって「このままだとまずい」と判断したようだった。その優しさが逆に怖かった。

ボクは机や椅子や床に飛び散った自分の血を雑巾で拭いてようやく開放された。

靴を履いて学校から出ると夕暮れになっていた。

その日は土曜日だったので、本来であれば授業は昼で終わりだった。暴力は13時から始まって開放された時には17時を過ぎていた。

帰り道、公園で遊ぶ近所の子供たちが、ランドセルを背負って歩いているボクの姿を見かけては「まだ学校にいたの?」と不思議そうに質問してきた。ボクは適当な言いつくろって、服についた血を見れないように足早に離れた。殴られて体中がズキズキと痛かった。

さて……母親にはどうやって言い訳しよう?

昼ご飯も食べてないのに、どうしてこんなに帰るのが遅くなったのか?

微かに服についている血を、どう説明するのか?

本当のことを話せば母親は当然に味方になってくれるだろう。学校や教師の自宅に怒鳴り込んでいくかもしれない。でもボクは殴られたことを隠すことしか考えていなかった。この時、クラスメイトの全員が教師が暴力を振るっていることを親には話さなかった。中学生や高校生になって、同じクラスだった生徒と話していると「親に話したら教師から仕返しされると思って怖くて話せなかった」と言っていた。でもボクが親に打ち明けることができないのは、少し理由が違っていた。

家の前まで来て立ち止まって、頭の中で言い訳を整理してから玄関のドアを開けた。

<つづく>

絶対に会えてよかった<14>

ボクは一緒に横になってから震えている彼の体をできる限り優しく抱きしめた。

ボクは変わっている人が好きだ。なんとなく世の中の流れに乗り損ねているような人が好きだ。それはきっとボクも似たような存在だからだ。

子供の頃から趣味も変わっていて気が合う人がほとんどいなかった。それにゲイという側面に加わってしまって、さらに気が合う人が少なかった。ついでに団体行動が苦手で、気がつくとみんなと逆方向なことばかりしていた。別に意図して選んでいるわけではないのに、気がつくとみんなと逆方向ばかり見ていた。そんな自分のことを高校時代ぐらいまで悩んでいた。でも、大人になるにつれてみんなと逆方向なことをしてしまっても気にならなくなった。このサイトを始めた経緯にも似たようなところがある。ゲイの大半がゲイアプリばかりしてるから「もっと別の生き方もあるんじゃないの?」と思って毎日文章を書き続けている。

「そういえばさっき……廊下で背の高い人から誘われてましたよね?」

ボクは彼を抱きしめたまま、さっきから気になったことを質問してみた。

「はい……」
「なんで断ったんですか?」

数秒ほど間をおいてから彼がおもむろに答え始めた。

「背の高い人って……」

「はい」と返事してボクは答えを待った。

「嫌いなんです……」

なんて簡潔な理由なんだろうと思った。

「それだけですか? 他に理由は?」
「それだけです……他に理由はありません」

ボクは彼の話を聞いて笑ってしまった。彼は不審にそうに「何がおかしんいですか?」と質問してきた。

「ボクも彼から誘われたんですけど、同じ理由で断っちゃいました。でも彼を狙ってる人が沢山いたんですよね」
「そんなに狙ってる人たちがいたんですか?」
「いましたよ」
「断って悪いことをしました。後で謝っています」
「もう彼。帰っちゃましたよ」
「そうですか。悪いことをしました。あなたはどうして背の高い人が嫌いなんですか?」

と質問されて、ボクは「うーん。これはボクが背の高い人が嫌いな理由と直接関係あるのかは分かりませんけど」と前置きをしてから、過去にあった出来事を説明した。

かなり話がそれてしまうけど、筆まかせならぬ、キーボード任せに書くことにする。

これはボクが小学校に入学したばかりの頃だ。

ボクの担任教師は暴力教師だった。背が高くてガタイのいい教師だった。

その教師に殴られて教室の壁や床に生徒の血がこびりつくことなんて日常的にあった。教師の機嫌が悪かったり、宿題を忘れてきたりしただけで、生徒の髪を掴んでロッカーに体ごと叩きつけて殴りまくった。その度に鼻血が飛び散って床や壁にこびりついた。

「あの染みって○○くんの鼻血だよね」

と、乾いてこびりついて血を恐ろしく眺めていた。

血を拭くのが怖くて、学年が上がるまで教室の壁にこびりついたままの血もあった。体側服を入れる巾着袋に、他人の鼻血がこびりついて取れないなんてこともザラにあった。

クラスの生徒全員の前で、一人を公開処刑することなんてざらにあった。

机や椅子や床に飛び散った血は、雑巾を持ってきて自分で拭くように命じられた。殴られた生徒は「すみません」「もう忘れません」と土下座して謝った。そして泣きながら拭いていた。たまには恐怖のあまりに失禁してしまう生徒もいた。失禁した生徒には男子もいたし女子もいた。失禁した本人はクラスの生徒全員の前で泣きながら掃除していた。

ボクのクラスの生徒は小学1年生の時点から、毎日のように怯えながら登校していた。小学校一年にして、これほど過酷な日々が始まったけど、「残りの人生を無事に生き抜くことができるのか?」と心配していた。この時、正常な思考ができなくて、他のクラスも似たような状態だと思っていた。どこの小学校も一年生は、こんな状況なんだろうと本気で思っていた。学校に行けば、毎日ようにクラスメイトが公開処刑されていて、ボコボコに殴れて、いつ自分の番が回ってくるのかと恐れていた。ボクは宿題を忘れないように細心の注意を払っていた。それに宿題を忘れる以外にも、その教師が気いらないことがあれば生徒を殴ったりすることも日常茶飯事だったので、なるべく存在感を消して生きていた。

学級が上がる直前にある事件が起こった。

クラスメイトの女の子が、教室で毎日起こっている事態を学校外の人に話した。話した相手が社会的に地位のある人で、たまたま女子生徒が通学途中に道端でうずくまっているのを不審に思って声をかけたのが発端だった。女子生徒は、恐怖のあまりに学校に行けなくなっていた。

学校の上層部は今更ながら気がついて、とは言っても……殆どの教師は暴力を振るってたことを知ってたんだけど、すぐに問題の教師を転勤させて幕引きしようとした。ちょうど学年が上がる直前だったので、転勤という形でうまく処理することにした。他のクラス担任も生徒もボクのクラスで起こっていることに当然のごとく気がついていた。毎日のように教室から机や椅子を蹴る音や、生徒の叫び声が聴こえてれば嫌でも気がつくだろう。でも誰も助けてくれなかった。重い口を開き始めたのは、その教師が学校から消えた後のことだった。それまで恐怖のあまり黙っていたクラスメイトたちも口を開き始めた。まさか小学校に入学したばかりの自分の子供たちが、異常な暴力に日常茶飯事に晒されていたなんて、どの家庭の親も思いもしていなかった。その事実を知った親たちは学校に対して抗議しようとしたけど、その時には問題の教師は転勤していて、学校は素知らぬ顔を決め込んだ。

どこかの少年院で起こった出来事に思えるけど、これは普通の小学校で起こった出来事だった。

妖怪くんはボクの話を聴いてから「その教師から殴られたことがあるんですか?」と質問してきた。ボクは「はい。一度だけあります。放課後に教室に残されて二人きりになってから4時間ほど殴られました」と答えた。

<つづく>

絶対に会えてよかった<13>

彼の手を握って分かったんだけど、緊張のあまり手や足が震えていた。

「自分なんかでいいんですか?」

体育座りして顔を伏せたまま声だけが聞こえた。

「あっ……はい。いいですよ」

ボクは繋いだ手に力を入れて答えた。ただ彼の方は握り返してくれるわけでもなく、何の力も込められてなくて「これは見込み薄かな」と思った。

「嫌じゃないんですか?」
「いえ。嫌どころか好きなタイプです」
「さっき……誘ってくれなかったですよね?」

一瞬、彼が何を言いたいのか分からなかった。

数秒ほど思考して、さっき彼の隣に座った時に、彼を誘うことなく立ち去ったことに対して抗議してることが分かった。彼の放つ言葉は、どれも直球すぎて、何を言いたいのか常に想像しながら聞かないと分からなかった。もう少しだけ補足の言葉を入れてくれないと解釈が大変なのだけれど、その煩わしさも面白くて、ますます気になってしまった。それに「ちゃんと隣に座ってたのがボクだと認識してたんだ」と気がついて嬉しかった。

「すみません。さっきも誘ってみようと思ったんですけど、こういった店で自分から誘ったことがなくて……」

どう答えたいいのか分からなくて、正直に全てを打ち明けることしかできなかった。自分から誘った経験がないとか恥ずかしい話だったけど、ここは正直に答える方がいいように思った。

「自分も経験ないです」

どこまでの経験がないのか分からなかったけど、もしかしたら全く経験がないのかもしれない。

「どこか個室に行って話でもしませんか?」
「はい……」

さっきから大部屋に入ってくる人たちにとって、ボクらは見世物のような状態になっていた。彼らの視線が気になってしょうがなかったので、二人きりになって会話をしたかった。

ボクは手を離して立ち上がり彼を近くの個室に案内した。黙って後ろをついてきてくれるということは嫌われてはないようだった。さっき向井理(似)が彼を誘った部屋は避けて、二つ隣の部屋に案内した。そして彼を緊張させないように個室の鍵を閉めないでドアも開けたままにしておいた。

さて……どうしよう。

ベッドに並んで腰を下ろしてから、この先どうしたらいいのか迷っていた。

彼も未経験だと言ったけど、ボクも自分から誘うのは未経験だった。

「本当にいいんですか?」

隣に座っている彼は両手で顔を隠していて、指の隙間からさっきと同じ質問が聞こえた。

「何もしてあげられませんよ。いいんですか?」

うーん。やっぱり少し言葉が足りない。「ボクはあなたの体を触ったりして気持ちよくさせてあげることができないけど、それでもいいんですか?」と言いたいのだろう。

「はい。いいですよ」
「本当に何もできませんよ……」

この時、隣に座っている彼がどうされたいのか分かった気がした。そしてボクも彼とどうしたいのかが分かった気がした。多分、ボクと彼は同じようなことを望んでると思った。

「はい! いいですよ。ボクは変わっている人が好きなんです!」

ボクはそのことに気がついて嬉しくなった。

「変わってますか?」
「そうですね。変わってますよ!」

「とても変わってますよ」と、もう一度だけ心の中だけでつぶやいた。

彼がどんなに変わっているのか例えると、静かな日本の庭園を散歩している時に、外界と隔絶された「マダガスカル島」に生えている異様な植物が、いきなり目の前に現れたような異物感があった。

「本当に何もできませんよ……それでいいんですか?」

と、何度も何度も念を押してくるのがおかしかった。

「えーと。じゃあ。ボクも自分から誘うのが初めてなんで何もできないですけど、それでもいいですか?」
「いいですよ……」
「本当にボクも何もできないですよ? 抱き合って寝るくらいしかできないですけど、それでいいですか?」
「それでいいですよ……」

彼はその言葉を聞いて、ようやく両手で顔を隠すのを止めてくれた。

「じゃあ抱き合って寝ましょうか? それだけしかしないって約束します」
「はい……分かりました」

と答えて、彼は体を震わせながらベッドの上に横になった。

<つづく>

絶対に会えてよかった<12>

ボクはフラれた彼に何て声をかけてあげればいいのか迷っていた。ただ隣に立っているってことは、「きっと誰かと話がしたいんだろう」ということだけは分かったので、当たり障りのない言葉をかけた。

「この辺に住んでるんですか?」
「いや。たまたま仕事で近くに来たから、ここに寄ってみただけで初めて来た」

なるほど。道理でユウちゃんを含めて常連客たちがザワザワしているわけだ。みんな初めて会った彼の好みのタイプが分からずに、気になってしょうがないわけだ。

「あの人(妖怪くん)なんか気になるんだよね」

と、彼が逃げ込んでいった大部屋の方を指差しながら言った。

「その気持ち分かるよ」と思った。ボクだって彼のことが気になっている。自分でも理由が分からないけど、なんとなく彼のことが気になってしょうがない。

ボクらの目の前を、付き人たちが通り過ぎていった。きっとボクと向井理(似)が何を話しているのか気になるんだろう。

「よかったら君でもいいけど?」

と言って、彼はボクの腕を掴んできた。まさか彼から誘われるなんて思ってもみなかった。

「えっ? うーん……」

嬉しかったけど、ボクには彼の誘いに乗り気になれない理由が一つだけあった。彼は誰が見てもハンサムな部類に属していた。でも、どうしても彼の誘いを受ける気にならなかった。ボクの反応を見て「これは見込み薄だ」と思ったのか、それ以上は誘ってこなかった。彼はボクの腕から手を離した。

「俺さ。背の低い人が好きなんだよね」

と彼は照れたように笑いながら、ボクの頭をぽんぽんと優しく叩いてきた。ボクは彼の顔を見上げた。ボクよりも20cm近く身長が高かった。

彼がボクと妖怪くんを誘ってきた理由が分かった。

ボクの身長は163cm。妖怪くんも同じくらいの身長だった。この時、店内にいた客の中でボクら二人だけが、突出して背の低い部類に属していた。

そうか……それでボクらを誘ってくれたのか。

でもボクは背の高い人が嫌いなんだよね。

と、口に出さないで心の中だけで思った。ボクが彼の誘いに乗り気になれなかったのは、それが理由だった。

「君もあの人を狙ってるんでしょ?」
「あっ……はい。そうです」
「誘ってみればいいのに?」
「うーん。あなたみたいなイケメンが誘って断られたってことは、ボクには最初から無理そうな気がします」 

卑屈すぎる。それにボクと彼は同じ年齢くらいなのに、ひたすらに丁寧な口調で話している自分が情けなくなってくる。

「そんなことないんじゃない?」
「そうでしょうか?」
「あの人って経験がなさそうだから、君みたいな方がいいかも」

この時、ボクには彼の言うことがよく理解できなかった。

「そろそろ帰ろうかな……」
「もう帰るんですか?」

結局、この店に入って彼が誘ったのが、ボクと妖怪だけだった。最上級の階層の属している彼が、最下層の階層の二人組を誘って断られて帰る。それで本当に良いのか?と思った。

沢山の人が彼を狙っているのに勿体無いと思った。でも彼は付き人たちに対して、全く興味がなさそうだった。

「うん。明日も仕事があるから。じゃあね」
「あっ……はい、さようなら」

彼はロッカールームに向かって歩きだした。ボクは背の高い後ろ姿を見送った。

しばらくしてロッカーを開ける物音がした。付き人たちは入れ替わりでロッカールームの状況を確認しに行った。そして彼が帰ろうとしているのを確認すると、残念そうな顔をして戻ってきた。ボクと彼が何を話していたのか気になっていたようで、ユウちゃんが代表して質問してきた。

「彼と何を話してたの?」

玄関の方でチャイムが聞こえて、同時にドアが閉まる音が聞こえた。彼が店から出ていったことが分かった。ボクは頭の中で、彼が颯爽と店から遠ざかっていく姿を想像した。

「ただの世間話ですよ」

ボクはそれだけ答えて妖怪くんが消えた大部屋に向かって歩き出した。

ボクと向井理(似)と妖怪くんの間に何があったとか、いちいち説明する気持ちにはならなかった。

誰が誰を好きになるとか、そういったことは誰にも決められないし強制もできない。顔がハンサムであれば好きな人から好かれるわけでもない。性格がよければ好きな人から好かれるわけでもない。

でも少なくともこれだけは言えると思った。

相手から声をかけてくるのを待っているだけでは、好きな人と会える確率を減らしているし、自分から声をかけない限り、好きな人と会える確率を減らしているということ。

大部屋に入って辺りを見渡すと、店に入って最初に妖怪くんを見つけた場所。部屋の隅に体育座りをしていた。さっき怒ったせいか、負のオーラが濃くなっているような感じがした。大部屋では相変わらず乱交は続いていて、さっきよりも人数が増えて5人になっていた。もう誰が誰をヤッているのか分からない状態だった。

ボクは足音を立てないようにそっと忍び寄って、さっきと同じように彼の側に体育座りをした。

そして時間をかけて数ミリ単位で自分の手を、彼の手の方に徐々に近づけていった。彼の手を握ろうとしては止めると同じことを繰り返した。

彼を誘ってみないと、どうなるかは分からないよね。また誰かが彼を誘ってくるかも分からない。どうなるかは誘ってみてから考えてみよう。

そう思って勇気を出して彼の手を握ってみた。

ボクは生まれて初めてハッテン場で自分から誘ってみた。

<つづく>

絶対に会えてよかった<11>

その時、廊下にはボクと妖怪くんと向井理(似)だけがいた。

向井理(似)は妖怪くんの側に立って、彼の顔を覗き込むように見ていた。

あぁ……向井理( 似)は妖怪君を狙ってたんだ。

あまりの意外な展開に呆然とした。

店内の支配階層は、

向井理(似)>>超えられない壁>>その他の客>>超えられない壁>>妖怪くん wirh 神原

となっていたけど、まさか最上位にいた向井理(似)が、最下位にいた妖怪君を狙っているなんて思いもしなかった。

向井理(似)は妖怪くんの腕を掴んだ。そして彼を立ち上がらせようとした。

その様子を見ながらボクは廊下を見渡した。さっきまで付き人のように後を追いかけていたメンバーの姿はなかった。妖怪くんを最下層扱いしていたメンバーが、この状況を見て、どんな顔をして焦るのか興味はあった。でもボクの心中も焦っていて、そんなことを考えている余裕はなかった。

腕を引かれて立ち上がった妖怪くんはチラリと向井理(似)を見た。そして空いている方の片手で顔を隠した。ボクにはどうして彼は不細工でもないのに顔を隠したりするのか不思議だった。

向井理(似)は妖怪くんの腕を引いて個室に案内しようとした。

あぁ……またこの展開かと思った。

もう何度も同じような苦い経験をした。

ボクは好みのタイプがいたとしても自分から声をかけることがない。好みのタイプがいたとしても、先に誰かが声をかけて、「個室」か「大部屋」のどちらかに連れ込まれるという経験を何度も味わった。

個室から漏れてくる声を廊下に立って聞かされたことも何度もあった。大部屋のカーテンの隙間から見える二人の関係も何度も見らされた。図々しい人だったら、横から無理やり割り込んで寝取っちゃうけど、ボクにはそんな度胸がなかった。

ボクは当然のように、妖怪くんが向井理(似)の誘いを受け入れると思っていた。

気になっている相手を堂々と誘える向井理(似)のことが「羨ましい」と思った。ボクだってもっと早く妖怪くんを口説いていれば可能性はあったはずだ。結局、度胸がないからいつも機会を逃してしまう。

すぐ近くの個室の入り口まで向井理(似)は妖怪くんの腕を引いて案内した。

ボクは妖怪くんが個室の闇の中に消えていくのをただ見ていた。そしてドアが閉まって「カチ」と鍵がしまる音が聞こえてくるんだろうと思った。

バシシッ!

突然、廊下に鳴り響く音。

ボクの目の前で信じられないような出来事が起こった。

意外な表情で妖怪くんを見る向井理(似)。

怒りの形相で向井理 (似)を睨む妖怪くん。

そのまま個室に消えていくと思われた妖怪くんは、顔を隠していた片手で向井理(似)の腕を叩いた。

通常、相手が好みのタイプじゃなければ腕を振って外すぐらいで済む。でも妖怪くんは違った。向井理(似)の腕を本気で叩いた。

憤然とする妖怪くん。呆然とする向井理(似)。

異様な音に驚いて廊下に向井理(似)の付き人たちが姿を現した。その付き人たちをかき分けるようにして、妖怪くんは両手で顔を隠しながら大部屋の方に逃げ込んでいった。

個室の前に残された向井理(似)は頭をかきながら廊下に戻ってきた。そしてボクに近寄ってきて廊下の壁に並んでもたれていた。彼の付き人たちは何が起こったのか気になっているようで、離れた場所に立ってボクらの様子を伺っていた。

ボクと向井理(似)の間に流れる数秒間の重たい沈黙。

「駄目でしたね……」

ボクは慰める言葉が見つからずにそれだけ声をかけた。

「そうだね……」

彼は恥ずかしい所を見られたという感じで、照れたように笑っていた。

<つづく>

絶対に会えてよかった<10>

妖怪くんは何度か顔を上げて、こっちを見たけどボクと目を合わせる前に顔を伏せてしまった。

ここから逃げないってことは、ボクのことが嫌じゃないのかな?

その後、どれだけ隣りに座って待っても妖怪くんに動きはなかった。

こういった時。ボクの方から彼の手や体を触るとかして誘えばいんだろう。

でもボクは自分から誘ったことが一度もなかった。

自分から誘って相手に断れた時の精神的なショックが大きそうだと思って躊躇していた。有料ハッテン場で出会った人の中には、少しでもタイプの人がいれば、手当たり次第に誘ってる人もいたけど、ボクにはそういったことは無理だった。

ボクはじっと座っているのに疲れて立ち上がった。

そして見下ろすような形で、妖怪くんを見ていたけど、やっぱり彼に動きはなかった。ボクは彼を誘うことを諦めて大部屋から出た。

店内の客は増えていて、さっきまで見かけない人がチラホラいた。

いくつか部屋を回ってみて、何人かとすれ違った。相変わらず向井理(似)を追い回している人たちはいた。ボクも向井理(似)とすれ違ったけど、彼は全く興味を示されることなく、最初から存在しなかったもののように無視して通り過ぎていった。でもショックは受けなかった。

うーん。やっぱり彼のことが気になるな。

ボクには妖怪くんが店内で一番魅力的に思えた。

店内には何十人もいたけど、彼のことが忘れられなかった。

「やっぱり勇気を出して彼を誘ってみようかな」と思い直して、もう一度、大部屋に戻ってみると、部屋の隅には妖怪くんの姿が見当たらなかった。

あれっ? どこかに移動したのかな?

焦って近くの部屋を探しても見つからず、「もう帰ったのかな?」と思い、店内を歩き回っていると、廊下の隅に漆黒の闇の世界が展開されていることに気がついた。

あっ! 妖怪くんがいた。

彼は廊下の隅にある掃除用具入れのドアの前でしゃがんでいた。さっきと同じように顔を伏せて体育座りをしていた。

怪しい……怪しすぎる。でもやっぱり彼に惹かれてしまう。。

彼はなんでまた廊下の隅にしゃがんでるんだろう。まださっきの大部屋の隅ほうがマシだった。廊下を歩いている人たちは、そんな彼の姿を見つけては、うんざりした顔をして通り過ぎていった。

どうしよう…誘ってみようかな?

ボクは彼から5mくらい離れた場所に立っていた。

廊下を歩く人たちの中に、ユウちゃんがいた。ボクの視線を追って、まだ妖怪くんを狙っていることに気がついて「理解不能」と言った顔をして通り過ぎていった。

どうしよう。彼を誘ってみたい。やっぱり気になる。でも断られるかもしれない。そしたら傷つく。もし受け入れてくれたらどうしよう? どこかの部屋に誘おう。それから何をすればいい? いやいや、まだ彼を誘ってもないのに考えてもしょうがない。でも断られるかもしれない。でも彼を誘ってみたい。どうしたらいい?

そんな感じで、ひたすら逡巡していた。

その時、ボクと妖怪くんの間に一人の男性が立ち止まった。

「誰だろう?」と思って立ち止まった人の顔を見た。

ボクと妖怪くんの間には「向井理(似)」が立っていた。

<つづく>

絶対に会えてよかった<9>

「あんなの妖怪じゃん!」

と叫ぶ、ユウちゃん。

彼の声が大きかったので。ボクは慌てて「静かにして!」と指を立てた。部屋の隅に座る「妖怪」呼ばわりされた彼を見ると、自分のことを言われている自覚がないのか、ピクリとも動きがなかった。

ゲイ仲間から「妖怪」と呼び捨てられたけど、ここでは彼のことを「妖怪くん」と書くことにする。

「あんなのがいいって……君。頭おかしいんじゃない?」
「ははははっ……そうかもしれません。でもボクには彼が一番タイプです」

ユウちゃんのボクを見る目が、妖怪くんを見る目と同じようになっていた。周囲にいた人たちも、会話の内容から「ボクが妖怪くんに気がある」という状況を察したようで、妖怪くんを見る目と同じようになっていた。

またこのシーンか……

ボクは何度も同じ状況に出くわしていた。有料ハッテン場で「誰を狙っているの?」と質問され、正直に答えると「君は不細工が好きなんだね」と言われたこともあった。人の好みのタイプなんて、それぞれだから理解してもらえるとは思ってもいないけど、でも少しだけ寂しかった。

ボクの言葉を聞いて「コイツは付いていけないわ」と呆れたように去っていく人たち。

結局、ボクと妖怪くんと乱交3人組だけが大部屋に残された。

ちょっとぐらい近づいても大丈夫かな……

ボクは勇気を出して妖怪君の側に近寄って、彼と同じように体育座りをして並んで座った。

妖怪君は一瞬だけ顔を上げてボクの顔を見たけど、すぐに顔を隠すように伏せて、さっきまでと同じように動かなくなった。

既に店内では、

向井理(似)>>超えられない壁>>その他の客>>超えられない壁>>妖怪くん with 神原

という支配階層で出来て上がっていた。

ボクが妖怪くんの側に座っているのを見て、

「こんな変な奴狙ってるの?」

と、露骨に顔を出して通り過ぎて行った。

ボクは向井理(似)が誰を狙っているのかは分からなかった。彼は好みのタイプが見つからないのか、ひたすら店内を歩き回っていた。店内の多くの人が彼を狙って、後をついて歩いていた。まるで大名行列を見ているような気分になった。

ボクは妖怪くんの側に座って、その光景を眺めていた。

そし時折、現れては消えていく向井理(似)と、妖怪くんを見比べていた。

妖怪か……酷い言われようだな。でも、やっぱり彼のことが一番好きだ。

彼は何度か顔を上げて隣に座ってるボクの方を見た。でもすぐに顔を隠すように下を向いてしまう。

彼が何を考えているのかは俯いて座っているのかは全くわからない。でも、こうやって彼の側に座っているのが一番落ち着いたのは確かだった。

ボクは隣に座っている彼の体を触って良いのか迷っていた。

<つづく>